本年もよろしくお願いいたします。
(_書き溜めの宇都宮への旅の続きをUPさせて頂きます。)
宇都宮二荒山神社へお参りいたしましょう。


実は お訪ねするまで知らなかったのですがー
ここ宇都宮の「宇都宮二荒山(フタアラヤマ)神社」と 日光の「日光二荒山(フタラサン or ニコウザン)神社」は 場所が違うだけでなく 祭神も違い 由緒も違う 別々 の神社、なんですねー。 でも どちらも下野国(シモツケノクニ)の一宮で式内社、を名乗り~、、、 下野では両方一宮で式内社 となっています!(てっきり日光が宇都宮の奥宮、なのかと)
_ややこしいので 今回はここ宇都宮の二荒山神社、に集中したいと思います。


丘の上の社殿まで石段が続いています。


上がって参りましょう。



↑経の巻に 菊の紋が見えます。こちらの祭神は 第十代崇神天皇の皇子-豊城入彦命(トヨキイリヒコノミコト) なのです。
石段の途中の おどりば から 東西に細い帯曲輪(?)がのび 摂社末社が並んでいました。

東側から石段を向いたところ_。

下の境内を見たところ_。

東側。

石段を登りながら東側を見下ろしてます。

上り切ったところに_


(↑神門は菊の中に三つ巴、なんですね?)
由緒書

↑「式内名神大社 下野国一之宮 宇都宮二荒山神社御由緒
御祭神 豊城入彦命
相殿 大物主命(大国さま)
事代主命(恵比寿さま)
主祭神、豊城入彦命は、第十代崇神天皇の第一皇子であらせられ勅命を受けて東国御治定のため、毛野国(栃木県・群馬県)に下られました。国土を拓き、産業を奨励し民を慈しんだので命の徳に敬服し、族(ヤカラ)は鎮まり、その子孫も東国にひろく繁栄され四世の孫 奈良別王(ナラワケノキミ)が第十六代仁徳天皇の御世に下野国の国造となられて国を治めるに当り、命の偉業を偲び御神霊を荒尾崎(現在の下之宮)の地に祀り合せて国土開拓の神大物主命、事代主命を祀られました。その後承和五年(838)に現在の臼ケ峰に遷座されました。以来平将門の乱を平げた藤原秀郷公(←俵藤太)をはじめ、源義家公・源頼朝公、下って徳川家康公などの武将の尊崇を受けられました。古くは、延喜式内社、名神大、当国一宮 明治になって国幣中社に列せられ、「お明神さま」の名でひろく庶民に親しまれ篤く崇められてきております。宇都宮の街もお宮を中心に発展してきたので市の名も社号をそのまま頂いてきたおり市民憲章にも「恵まれた自然と古い歴史に支えられ二荒の社を中心に栄えてきた」とうたわれています。(後略)」
では門を潜ります。

正面に拝殿。

左手に手水舎。



右手に神楽殿。


(紋は三つ巴)

(↑彫られているのは亀かな?)
(↓扁額の上は龍、ですが 翼を持ってる?)


↑細部までこだわった~ 感じがしますね?
改めて社殿へ。



↑阿↓吽。

中の太い注連縄。

鈴。

奥に社号を記した扁額。

ご挨拶。
社殿の西側へ行ってみましょう。

社務所の入る「二荒山会館」。

その北にー

「初辰稲荷神社」。




お稲荷さんの右に井戸がありました。





↑「宇都宮の名水 「二荒山神社の明神の井」
宇都宮は地形の関係で湧き水が多く、江戸時代の人々は、主な湧き水を七つ選んだ「七水」、これと合わせて「七木」「八河原」などを選んで名所としました。
二荒山神社の「明神の井」は七水の一つで、この井戸の水は神様の御供え水としています。明治天皇が宇都宮においでになったときさしあげた茶湯に使われ、おほめのお言葉を頂戴したとされています。
また、この水を使うと諸堂が上達するという言い伝えが残っています。今でも清らかな水がくみ上げられています。
(参拝のみなさまもご利用いただけるようになっています)」
と その隣は・・・蔵?(神輿蔵とか かな?)

右に目を移すと 神社の神殿部。

もう一度拝殿前を通ってー

社殿東側へ。

神馬像。

その北の丹塗りの社には_

「市神社 須賀神社」と記した板が上げられていました。

商売の神様 大市姫命と、


お天王さん(≒牛頭天王) と呼ばれる素戔嗚尊が祀られている との事でした。
守る狛犬達は 人面系、のユニークな顔をしていましたよ?


帰りは 丘の東斜面を下りる道を行きます。






豊かなお参り所でした。/ おしまい。