日光街道を歩く 小金井~石橋 | (又)おだわらぐらし はじめました

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 背広を脱いだ夫と 結婚以来ずっと専業主婦の私との
「新しい日常」を綴って参ります

_つづき

(お昼を食べた中華の「龍鳳」を出て)_少し行くと 下野市(シモツケシ)に入りました。

(↑とりあえずのこの場所は 小金井(コガネイ)、 になります。)
↓マンホールの蓋のデザインも変わりました。

↑何から起こした意匠かなあ? 小金井、とか? / と思ったのですが 調べてみると「菊の花」だそう...。(尚 菊は合併によって下野市ができる以前にあった栃木県河内郡-南河内町の「町の花」で 現在の下野市の花は「ゆうがお」ですって。)
↓じゃ これも合併以前のもの、かしら?


(↑で、えーっと 町の虫が蟻だった?)

再び「旧-日光街道」に入っております。


↑道脇の 鈴なりの柿。初めてあるく道なのに なんだか「懐かしい」。

↓おや、あの塚は?

「一里塚です」_←リーダー。

近寄ってみると、塚は 二つ ありました。


ちゃんと「対」で残っている一里塚なんですね?


↑「小金井一里塚」_江戸から22番目の塚。(一里は約3.927mなので 22番目なら計算上は江戸の日本橋から22里、約86.4kmのポイントでアルハズですが、実際は90km以上あるそうです。江戸初期の測量技術は 「まだまだ」レベルだった?)


ここからはしばらく国道4号線を歩きました。

(なぜなら 塚と塚の間の道=旧街道は 畑や住宅地になって 消えてしまってまして・・・)

左手に慈眼寺(ジゲンジ)、が現れました。


真言宗智山派のお寺で山号は多宝山。創建は建久7年(1196)。新田義兼(←新田義貞の御先祖)の開基、とか。/ 江戸時代には将軍の日光参拝の「休憩場所」だったそうです。
↓門を潜ると 華やかな赤いお堂が目に入りました。


扁額に「千手観世音」と書かれています。観音堂だったんですねー。


↑「下野西国三十三観音 二十三番札所」だそうです。

本堂へ。

本堂に祀られているのは「十一面観音」。こちらは「関東八十八ヶ所霊場 第20番札所」になっているそうです。
(境内に二か所も観音霊場があるって すごいなー)


隣接する「村社 金井神社」。



小金井宿の鎮守社だそうなので 産土神が祀られているのかと思ったら 元は「虚空蔵宮・北辰社・星宮~」と呼ばれていた~ といいますから 妙見系のお宮(というか 神仏混交)だったんですね? 又、慈眼寺がこちらの「別当寺」であったそうです。
尚、現在の祭神は磐裂根裂神(イワサクネサクノカミ)との事。

その先に「小金井宿 本陣跡」。

大谷石の塀は 後から付けたものでしょうか?(アーチとか 洋風ですもんね)


「小金井北」交差点手前の道脇に「東京から87km」の標識。


右手(道の向こう)に薬師堂が見えました。


↑横に建つのは 地図によると「上町公民館」との事。

畑の向こうに山並。


広い広い関東平野も そろそろ終わり、な感じ。

旧街道に戻ります。

「えーっと これ だ・・・よ?」
ガイドブックを見ながら(ちょっと自信なさそうに)みんなを導いてくれるリーダー・・・

あぜ道のようなところを進むと~

下野市役所前に出ました。

駐車場横の道の脇にプレート。

↑「今ここ。あははー 街道は下野市役所の中を通ってるよー!」
~とそういう訳で、「日光街道を歩く」という説明板に教えられた通り(?) 下野市役所の中を通らせてもらう事にしました。


入口前に こんな子 がいたよ?


↑何だろう? 茄子かしら? / 後でわかりましたが これは「カンピくん」。 特産の乾瓢を擬人化したものだそうです。

では市役所に「おじゃまします」。

入口正面には「大海原」というタイトルの木彫。(ここは海なし県だが...)

おや ゆるキャラは カンピくんの他にも色々いるみたいですよ?

↑下野環境市民会議の「エコッピ」、↓下野市消費生活センターの「うぐちゃん」と「うぐるふ」。(察するに うぐちゃんが消費者で うぐるふは詐欺系の悪者ね? 赤ずきんと狼~は 下野にあるグリムの森から、かな?/尚、うぐちゃん達のモデルは下野市の鳥、鶯だと思われます。)

(とりびあ~♪/下野の石橋町は ドイツはヘッセン州の シュタイン(石)ブリュッケン(橋)村と 「同じ名前」というご縁から交流を始めたそうです。 合併により_石橋町は現在では下野市に、シュタインブリュッケン村もディーツヘルツタールに含まれる事になりましたが 下野市とディーツヘルツタールは姉妹都市関係を結び 交流を続けている~ のだそうです。)

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さて、ここでリーダーから
「暗くなる前に石橋まで行きたいので ピッチをあげましょう」+「この先は 道の無い場所 を通らないといけない」と言われー
女性二人はリタイアし JRの「自治医大駅」から 一足先に宿泊地宇都宮へ向かう事に。


という訳で ここから先は私は見ていないのですが~... どんな道だったのでしょう?

(↑下野市役所を通り抜けして~ 旧日光街道から新幹線の架橋の向こうに「自治医科大付属病院」を見ているところ)

さて 問題の「道の無い場所」が近づいてきました...。

どんな所なのでしょうね?

え ここ_?

ここだー!

↑記念撮影^^)「旧日光街道」「注意 / これより赤道(アカミチ)です。通行は自己責任でお願い致します。」

なんだー いい道じゃーん。


こんな道なら私も歩きたかった、です。


一度畑地に出て、も一度雑木林の中へ入ります。

↓MAPで見るとこんな感じ。

↑「次の雑木林」の中には 「下石橋一里塚」がある、みたい。




ここだ、一里塚。江戸から23里目のポイント。

説明板。

このプレートの裏、に 少し前まで「東塚」が残っていたそうですが 今は農機具のお店になっています_。
↓「西塚」の方は 今もどうやら そうと聞けば一里塚に見えますね?


赤道を抜けー 国道に戻ったところ_

(振り返ると こんな感じ)


少し行くと_左手に...菩薩様?

台座に「慈母観音」とあります。

ここは 宗教施設でしょうか? しかし地図で見るとー「丸大食品㈱ 関東工場」です。/ 構内の安全を祈って建てられたお像かな?

又行くと_ 

今度は右手に立派な門。

これは「伝関宿城(セキヤドジョウ)移築大手門」、との事。(元大手門だとすると 石垣の「上」の部分が移築されて 長屋門風にリメイクされた、のかな?)
↓尚 所有なさっているのは隣の「黒豚とんかつ合掌」だそうです。



尚尚行きます。

(↑右手の広告塔は「パチンコ ニューさくらんぼ」のもの。/これもなかなか「いい味」出してますね?)

国道352号線との交差点の少し手前にー

石仏や庚申さんが集められていました。

(↑元々は里のあちこちにいらしたものでしょうけどね?)

その近くに「星宮神社」と社号が彫られた石柱。

400メートル程西にある星宮神社への道標のようです。(そういえば_途中見てきた 新田宿の橿原神社、 小金井宿の金井神社も 元は星宮だったとの事でしたよね?/ 調べたところ_ 栃木は「日光修験」の影響で星宮(妙見)信仰が盛んだった~ そうです。)

国道352号線の下を潜ります。


左手に愛宕神社。


(↑素通りしたようです_)

↓「高砂食堂」の看板。

どうやらこちら 地元の愛されトンカツ屋 らしい。
~と知ったリーダー、「明日はここで食べよう!」+「朝 宇都宮を出たら 昼 ちょうど石橋だもん。 食べそびれないように 朝はちょっと早く出ましょうっ。」

てな訳で 二日目は街道を「下り」ルートで歩く事に。


街灯に火が入る頃~

JR石橋駅到着。





そうそう、この「メルヘ~ン」な駅前の造りは、(上でも打ちましたが)石橋とシュタインブリュッケン(←石の橋)のご縁、から、ですね?

(↑グリムの森も 行ってみようと思ったのですが、翌日はお休みの日、でしたー・・・ 残念)

↑時計塔を裏から見たところ。(きっと一日に何度か カラクリ達が行進する、んでしょうね?)


この後みなさんは 電車で宇都宮へ。宿にチェックインし、(女性組と合流して)夜~
「宇都宮餃子」を食べに街へ繰り出した のでした。/ つづく