「小栗判官(オグリハンガン)の墓所」を守る塔頭(タッチュウ)-長成院(チョウショウイン)さんへも伺ってみました。

本堂の東の道を進みます。


(本堂の破風も よく見ると面白い。)





正面が長成院。

右手の説明板。

↓長生院が預かっておられるという板碑 について。

↓長生院の本尊 木造阿弥陀如来坐像(市の重文)について。

左手のお堂が「小栗堂」。



由緒書の類は見つけられなかったのですが・・・Wikiに「長生院 」という一項目がありました。⇒*
(↑できたのは1429年と 遊行寺開山のおよそ百年後。又 建てられた当初は「閻魔堂」であった、とか。(←小栗判官関連の伝承物語の一つである「西俣野の伝承」は「焼失した近隣の閻魔堂より移された小栗判官縁起絵図が伝わる」そうなので 閻魔堂 というのも覚えておくべきキーワードかも)/ こちら、江戸時代には「長照院」、として『小栗略縁起』を発行し 小栗判官伝説伝承の中心地となった~ そうです。)
小栗判官の墓所への入口は こちら_。

(↑潜り戸の右手の札には「小栗判官公墓・・・」と書かれていました。)


- - - シーン抜け - - -
お堂の西に三体の地蔵様。


↑一番右の「厄除け地蔵尊」と書かれた札には「照手姫建立」の文字も添えられていました。
裏手には「小栗判官公並に十勇士之墓」。
そしてその手前に
「(伝)小栗十四代城主・小栗孫五郎平満重と家臣の墳墓由来について」の説明板。


(↑尚、ここでは平満重の名が「小栗孫五郎」となっていますが 小栗判官のモデルという説のある実在の小栗満重の通称は孫次郎です_)

小さな池の中の魚形の石の上に観音様がお乗りでした。


↑左上の札には「小栗判官眼洗之池」と書かれていました。
近くには 照手姫の墓 名馬-鬼鹿毛(オニカゲ)の墓もありました。(この鬼鹿毛は信玄の父の愛馬の名ではなく 小栗判官の伝説に登場する馬の名。なお 小栗判官の愛馬-鬼鹿毛の墓も 複数あるようです・・・。)
正直「小栗判官なんて 江戸時代のファンタジー小説の主人公でしょ?」と思っていたのですが、ここを訪ねて_ ファンタジーのバックには何らかの史実があったのかも という気持ちに。(小栗判官の伝説自体も バージョンアップ(?)増殖(?)していくし 伝説は実体化(?/ 「~したのはここ」という場所がうまれたり お墓ができたり_)していくしで 元々の史実を知るのはほぼ不可能ですがー、 それでもあれこれ面白かったです。)
<どうでもいいはなし

私が小栗判官の物語を知ったのは NHKの人形劇「新-八犬伝」で、です。 小栗判官の段がオリジナルの里見八犬伝には含まれない話と知ったのは ずーっと後になって~、でしたー。。。
かなり以前(2014年)のことですが_ 私達が小栗判官蘇生の地 といわれる 熊野の湯の峰へ行った時の話はこちら⇒*
<

ブロ友 あんこモチっとさんから 藤沢市教育センターの「小栗判官・照手姫」という頁を教えて頂きました。
⇒ https://www1.fujisawa-kng.ed.jp/kyobun-c/index.cfm/11,3279,68,html
↑小栗判官の物語の 元となった史実と 物語、両方が詳しく載っています。面白く 又 勉強になりました。(+又、長成院の読み方が「ちょうしょういん」だとわかりましたので 上の文で「ちょうせいいん」と間違って打っていたのを直しました。)
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続いては 遊行寺の鎮守社、諏訪神社へ行ってみました。