さて、鷹見泉石記念館の北には_
古河歴史博物館が建っています。
が、元々ここには「諏訪曲輪」という古河城の出城があったそうです。(Wikiのファイルによるとこんな感じ⇒* だったもよう。/古河城は水に浮かぶお城 だったんですねー。)
興味はあったのですが あと数分で閉館~ だったので、 周辺を歩くだけ、に。
でも 歩く価値のある周辺、 でしたよー。
(↑堀の向こうに見えているのは さっき見学した鷹見泉石記念館の長屋門。)
(↑博物館建屋の脇を歩いております。)
門(?)を潜った先に こんなデコ(?)が_。
↑雪の結晶のようですね?
ああ、そういえば_
古河のお殿様のどなたか、って 雪の結晶の観察をなさってましたよねー?
調べたら土井利位(トシツラ)という方でした。(『雪華(セッカ)図説』という本を出されています。尚 鷹見泉石が仕えたのもこの方だった との事。/そうだったのかー)
道なりに進みます。
↑おいな り・・・さん?
↓かと思ったら 全然違ったよ^^;)
(↑沢山の不思議なお面が並ぶオブジェ)
左手に古河文学館が見えてきました。
御洒落な建物。
↑南側、(因みにここは2F)
階段を下りて~
↑東の正面口。
道を北へ上がります。
↓スロープを上がり切って 振り返ったところ_。
(文学館辺りが 低かった、のは 昔の堀跡だから かしら?)
その先にー
↑赤レンガが使われたお洒落な建屋が現れました。
↓近づいてみるとこれはなんと 小学校でしたー。
↓説明板。
「古河市立古河第一小学校と赤門の由来
当校は古河町においていくどかの変ぼう変遷を経て 明治37年(1904)10月に現在地に移転され創立年となりました。
このおり表門と袖塀が古河の素封家6名によって建築・寄付されました。門は隣村野木の下野煉化製造会社のレンガが使用されたとみられ、いつの頃からか通称「赤門」と呼ばれています。
校舎は昭和44年(1969)にそれまでの木造から鉄筋コンクリート造りとなり、平成27年(2015)に企画改築されましたので、この赤門が昔の面影を偲ぶ唯一の景観となりました。
近年、東日本大震災や大阪北部などの地震被害をうけて学校施設の点検がおこなわれました。その結果赤門の耐震補強も必要となりましたが卒業生や地域の声を尊重し従来の形を保存してのこうじとなりました。このおり学区内の34自治会と住民を中心に寄付を募り学校名看板・説明板の設置や周辺整備にあたりました。」
へー。
赤レンガの小学校、
雪の結晶を観察し 本を出版した殿様、
すごいね 古河! でした。
この後は(宿をとった)小山に戻り、晩御飯、 です。
_つづく