↓道脇の小社。「八坂神社」ですって。


少し行くと_


(↑マンホールの蓋が「のぎ」の ひまわり柄 に。/ 上の「えんじゅ」は町の木「槐」。周囲の葉が 槐の葉 なんですね?)
煉瓦の蔵が見えてきました。





これは旧新井製糸所(登録文化財)。個人の所有で、不定期に公開される~ そうです。/ 赤い煉瓦のせいか 洋風で御洒落ですね? 使われている煉瓦は この近くの煉瓦窯で焼かれたもの、とか。 煉瓦窯にも 後で行ってみます。
熊野神社が見えてきました。

川島対馬という紀州からの入植者が 703年に建てた~ と伝わる古い神社です。


参道を進みます。



更に進みます。



狛犬が現れた。



長い参道の先にやっと社殿。

拝殿手前に 又狛犬達。


拝殿。

↑破風。
↓扁額。


↑木鼻の彫刻は 獅子+獏。小壁には熊野神社の神紋_三つ巴が記されています。
ご挨拶して_
裏手へ。


↑神殿部。(総板張りなので覆い屋かもしれませんね?)
社殿東側に石の蔵。


↑凝ったデザインの瓦、イイ!
↓顔のように見える 鉄の扉、カワイイ。

扉の上には「御大禮記念 昭和三年十一月」の文字。/ 昭和天皇の即位礼記念~ に蔵が造られたんでしょうか?

近くにはこんな物も。

↑二宮金次郎さんです。(説明板のような物は見当たりませんでしたが もしかして戦時供出でオリジナルのブロンズ像が失われ、代わりに、と作られたもの、とか かなー?)
本殿近くには こんな 石や祠が並んでいました。

(↑一番左の石には「月山、湯殿山、羽黒山」と 出羽の三山が刻まれていました。/祠/「愛宕山 秋葉山」/「・・稲荷・・」/年号?/不明)
ありがとうございました。 退出します。

少し西の「西光山 満福寺(曹洞宗)」へ行ってみます。


緑の芝が清々としたお寺ですね。


↑正面の扁額に寺号。
↓境内南西のお堂。

額に「施無畏(セムイ)」ってあるから観音堂ですね?

その隣には板碑(イタビ)がありました。

「阿弥陀一尊板碑」というもので 阿弥陀様を表す梵字(種字)「キリーク」が刻まれたもので、栃木県では一番古い物、だそうです。


南の門には鐘が掛かっていました。

(めずらしいー)

表に回ると「西光山」と山号が書かれた板が掲げられていました。

(↑この日は 作業日だったのか 沢山の人がお掃除をなさってましたよ。)
続いては野木神社へ。
行きしな 乗馬クラブ クレイン栃木 の敷地脇を通りました。

(↑乗馬クラブの奥に見えているのはホフマン式の煉瓦窯跡。/煉瓦窯跡へは後で行ってみます。)
- - - シーン抜け - - -
↓「二輪草の群生地」という説明板がありました。

その奥に 神社。厳島神社、との事。


(↑社へは木道が続いていました。厳島社なら元々は池の中の社、だったのかもしれませんね?)
道なりに行くと玉垣に囲まれた境内地がありました。

ここが野木神社_。

由緒書。

「野木神社由緒沿革
仁徳天皇の時代(約千六百年前)、下野国造奈良別命(ナラワケノミコト)が当国赴任の折、菟道稚郎子命(ウジノワキイラツコノミコト←仁徳天皇の異母弟と伝わる皇族)の遺骨を奉じ、下野国笠懸野台手函(カサガケノダイテバコ)の地に斎奉る(イツキマツル)。その後、延暦年間(約千二百年前)に坂上田村麻呂が蝦夷平定し都へ凱旋の途中、当社に鎮撫の功を奏し、その報賽として現在の地に社殿を作り遷座したと伝えられる。
鎌倉時代には、幕府より社領として旧寒川郡八ヶ村の寄進、及び神馬の奉納が有り、又元寇の際、北条時宗公より攘夷祈願の命を受けて、右殿左殿に息長足比売命(オキナガタラシヒメノミコト=神功皇后)を始め、あらたに五祭神を合わせ祀った。
文化三年(約百九十年前)火災により社殿悉く消失したが、時の古河城主、土井利厚公は領民の協力を得、現在の社殿を再建した。
明治時代には乃木大将も当社を厚く崇敬し、度々参拝に訪れ、所縁の品々を御神宝として奉納した。
御祭神
主祭神 菟道稚郎子命(応神天皇=八幡神、の皇太子)
右殿 息長足比売命(=神功皇后=応神天皇の母) 誉田別命(ホムタワケノミコト=応神天皇=八幡神)
左殿 田心比売命(タゴリヒメノミコト) 瑞津比売命(タキツヒメノミコト) 市杵嶋比売命(イチキシマヒメノミコト)(←宗像(ムナカタ)三女神)
境内社
王子稲荷神社、厳島神社、雷電神社
合祀社(天満宮、猿田彦神社、星宮神社、稲荷神社)
(後略)」
手水舎。(水盤に八幡様の「三つ巴」紋)



鳥居を潜ります。

左手に神楽殿。



拝殿の方へ。




↑虹梁の上の龍、三匹もいる~。/扉の両脇にはフクロウ。(フクロウについては 後、で。)

まずは ご挨拶。

外の小壁に掲げられた絵馬。何を表しているのでしょう?

(↑朝日を浴びながら松の剪定???)
社殿を回ります。


拝殿奥の神殿部は 覆い屋根で守られていました。



(↑木鼻 木組み、素晴らしいー)


↑後ろからー ↓渡廊下の方へ。


↓境内裏手の合祀社。

↓王子稲荷社。

↓これは神輿殿。

社務所近くには石の蔵。

渡廊下の下を潜るとー

目の前に大きな銀杏の木。


↑栃木の名木百選に数えられているという「野木神社のいちょう」だそうです。
↓木のそばの絵馬掛けにはー


↑母乳がよく出るようにという祈願の 手縫いの乳房の絵馬が沢山掛かっていました。
そうそう、フクロウ というのは~

↑野木町の「町鳥」で、この野木神社も生息している そうです。

へ~。
鳥が子育てできる 静かで豊かな環境が これからも守られますように。
この後は さっき チラと煙突の見えた~ 煉瓦窯を見に行きましょう。


つづく_