山北の室生神社 | (又)おだわらぐらし はじめました

(又)おだわらぐらし はじめました

 背広を脱いだ夫と 結婚以来ずっと専業主婦の私との
「新しい日常」を綴って参ります

川村小学校校庭で「お峰入り」の公演を見た帰りー・・・

(↑小学校から山北駅方向へ向かう人の流れ↓)


(↑県道74号線に架かる歩行者用の橋を渡りますー)

道なりに進むと 室生神社が現れました。


↓道脇の説明板。

↑ああ、_石橋山の戦いで頼朝側に弓を引いたため 頼朝の世になると領地を没収された河村義秀が 流鏑馬(ヤブサメ)の腕を認められ旧領に復帰できた、という故事。 そうかこの神社で それに因む流鏑馬の奉納が行われているんですね? へー。

お参りしていきましょう。


ところで、なぜ「室生」の名が社号になってるんでしょう? 又 御祭神は?

境内に由緒書が見つけられなかったのですが・・・
↓山北町のサイトには~
http://www.town.yamakita.kanagawa.jp/0000000566.html
「社伝によれば、天正8年(1580)の草創とあるが、『新編相模国風土記稿』には、室生神社は始め中川にあったものを天正8年、岸に移転し、その後地主神として祭られている天神の社(現在地)に遷宮したとあります。現在、中川には大室生神社があります。」
_とあり、『神奈川県神社誌』には 中川の大室生神社が「山北町山北室生神社の元宮」と載るそうです。更にその「室生」は山伏の修行の地「大和国室生山(奈良県宇陀市)」に由来、とか。(ネットでは 県道を挟んで東に建つ般若院(←元は河村城大手門近くに建つ恵華山という山号の河村氏の菩提寺)の住職が中川にあった神社を寺の裏の丸山に移し その際 大和の室生から室生明神を勧請して、寺の山号も室生山とした~ という話も読みましたが 調べきれませんでした・・・)
(+Wikiによると、現在神主さんは常駐されておらず、管理は寒田神社が行っている_そうです。)


(↑境内には白線が引かれ 車が数台停まっていました。記念公演関係者の駐車場になっていた、とか かもー)

虹梁の上に立派な彫刻を持つ拝殿。

入口上の扁額。/「室生大明神」の両側は 左「矢倉(←山の名)大明神」、右「■■(?)天神宮」(←元々この社地にいらした地主神さんだと思われます)。/ Wikiによると⇒ 明治43年に「川村内の無格社27祭神を合祀」したそうで、15柱の神々が「祭神」の欄に記されています。(尚、元宮に当たる中川の大室生神社の祭神は 大己貴命 大山祇命 伊弉那岐命の三柱、との事。/ 伊弉那岐命の神名は室生神社の方の祭神名一覧には見えませんでしたが・・・

(↑松皮菱の小窓が付いた扉。んー「桟唐戸」の一種ですかね?)
↓後ろに神殿部・・・

↓いやこれは「覆い屋」ですね。きっとこの中に神殿が守られているのでしょう。


その他、社殿西側に小社、

その南に 町指定の天然記念物の菩提樹。

(撮り損ねましたが)神馬舎などもありました。

_ほぼ「通り抜け~」状態だったので こちらには又改めて伺いたいと思います。

この後は鉄道公園でお昼を食べたのですが、その話は別項に綴りましょう。

つづく_