インペリアルビルの無厳庵(ムゲンアン)でお茶会 | おだわらぐらし

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24日(日)は、「近代建築で茶の湯を」と題した 無持菴(ムジアン)さんの9月のお茶会に伺って参りました。

場所は横浜市中区山下町の「インペリアルビル」(竣工-昭和5年(1930) 設計-川崎鉄三。)というレトロなビルの四階。

(↑道の左は 県民ホールです)


(↑四階建てのビルの上に 日本家屋が載った?ユニークな形・・・)


↑2010年に「横浜市認定歴史的建造物」に指定されています。

エントランス。


↑ドア前に 今入る住人(会社)の一覧が貼られていました。
元々は外国人向けのアパートとして建てられたというビルですが 今は事務所やスタジオ 商店 工房~ 色んな方が利用なさってるんですねー。

入館します。


↑左(東)の壁にメールボックス。
↓ボックスの上の真ん中と 柱部分に掛けられた写真は かつてのインペリアルビルのようですね?

(↓「上田屋ビルデイング第二號舘新築落成記念/インペリアルアパートメント/昭和五年六月九日撮影」「SINCE1930(施主 上田愛蔵・常代)」_ 上の円に入っている方が施主の 愛蔵さん常代さんご夫妻でしょうか。)

↑五階部分の日本家屋風建屋は見えないので (五階は)屋上への建て増し なのでしょう。/ 塗装も今とは異なっており 雰囲気的には 川崎鉄三が設計した別建築物-大桟橋近くのジャパンエキスプレスビルに似ていますね。

↓レターボックスの反対側には (多分かつての)受付。



(↑棚に陳列されていた物の中に「たばこマスク」なる 黒いマスクのパッケージボックスがありました。煙草の煙が苦手な人のためのマスクかしら?)
↓小扉の上に不思議な装置_。


↑1~6(6は隠れてますが)の番号と その下にベル。これは一体?/ 答えは後で。

エレベーターは無く 階段を上がります。

(この階段が又 味わい深くて~)






↑左、靴の修理屋さん。右、仕立て屋さん。/御洒落過ぎて気おくれして とても入れません^^;)




↓五階の屋上に出るドア横にあった 何かのボックス。


↑「HAOオバケ式表示機」? 何でしょう?/ ネットによると 昔の呼び鈴の類~ のようです。。。 で、わかりました。一階にあったアノ装置に対応している物だったんですね。 (多分 上でボタンを押すと 下で押された番号の蓋がパタっと下りて ベルがチンと鳴り、受付の人に「何番の部屋の人が呼んだ」とわかる仕組みなのでしょう。)

↓ともかく この階段部分を見るだけでも「なかなかー」でした。


そろそろ時間です。4階のお茶室の方へ。

(時に_お隣さん(?)になる 403号室はウェディングドレスの仕立てやさん、404号室はぬいぐるみ制作のアーチストさんの工房ですって。)


405号室が、今回お席が掛けられているお茶室「無厳庵(ムゲンアン)」(四畳半)。

http://www.mugen-an.yokohama/
(室内の画像は公式HP↑、↓FBでご覧ください。)
https://www.facebook.com/mugenanyokohama/?locale=ja_JP

躙り口の先には ここまでの「レトロな洋」の空間からは全く想像できない 「モダンな和」の世界がありました。


↑縁の無い畳。風炉の向こうの壁は 釉薬の掛かった焼き物の肌のよう。(実際陶器の産地の原土が使用されている、との事。) お客様からは「なんだか 地層のようです」との声。(そう言われてみると なるほど そんな風にも)

↓「床の間」に相当する窓辺には 唐金 の花入れ。 (+敷板は 唐木、との事。)/ どこかエキゾチックな花入れには モダンな洋花 ピンクのカラーが活けられていました。 (補足/唐金の花入れ、は(真・行・草の)「真」にあたり格式が高い、のですが 今回は格式云々ではなく 場所(インターナショナルな地-横浜) や 他の御道具との相性 遊び心 として選ばれた~ との事)

↑窓辺まで畳表が使われていました。とてもユニーク。/ もしかするとこれ (床から窓までが一続きのように目が錯覚?)、と一面の窓が 部屋を実際より広く感じさせていたのでしょうか。 (茶会が始まってから_)亭主が点てて下さったお茶が にじり寄らなくても手が届き、 その段になって「あら お点前が近い。 そうか ここは四畳半のお茶室だった」と気づかされましたよ。)

お花の横には、こちら 無厳庵のオーナーさんが指定された今月のお軸「掬水月在手(月は水掬う手にあり)」が掛けられていました。(オーナーさんの私物のため 画像は上げませんが 良い言葉 ですねー。)


お点前が始まりました_。

↑奥の主茶碗は天目茶碗。水差しは信楽の縄簾(ナワスダレ ←櫛描文)。/ 点前のお菓子は鶴屋吉信さんの「花こすもす」。(お正客さんが 一つ懐紙に取られたところ_)
↓ピンクのフリル状の花びらが 洋・・・というか唐風? それでいて食べると ちゃーんと和菓子で 面白い。

↓替茶碗の萩。(私が頂きました)

↓夫が頂いたお茶碗。四葉のクローバー!縁起も良く 可愛らしい^^

(↑右奥に うっすら四客さんのお茶碗が写っています。華やかで素敵なお茶碗だったのに・・・ ちゃんと撮るのを失念していた模様_ 夫、が。)

五客さんへは楽が使われました。

↑時にこの「屈輪(クツワ / グリとも)」という個性的な紋様が彫られた中次(ナカツギ)の薄茶器は、前田松斎という方の作だそうですが、
↓蓋を取ると_(「拝見」の時に撮らせて頂いてます。)

↑蓋の裏に花押が。/ で この花押は「表千家堀内宗心宗匠(宗完時代)のものです」との事でした。

↓これも拝見の時に見せて頂いたー 茶杓。

↑節の右下に 小さな小さな 「虫くい」の穴があります。詫びていながら 素朴さに親しみも覚えたり。


そうそう、
お茶を頂いて 御道具を拝見している頃でしたか_
ぽー と船の汽笛が鳴ったのです。
お茶の世界に浸っていた時に すぐ近くで聞こえた突然の ぽー に、皆驚きながら 「あ、海が近かったんだ」「そうでしたね ここは 横浜でした」 と言い合った事でした。
_こんなのも このお茶室「無厳庵」の面白いところ、でしょうね。

「ありがとうございました。」
(今回も多くの学びがありました。)



(↑退出。↓外観。振り返りながら_)


↑このビルの四階にお茶室があったなんて、、、 改めてなんだか「不思議」ですね。




<おまけ>
このビルの設計者-川崎鉄三が横浜で手掛けた別の建物、大桟橋近くのジャパンエキスプレスビルの絵も 貼ります。




↑建屋前に植えられた街路樹が近すぎて 全体が撮れませんー^^;)/ けど やはり雰囲気 なんとなく似てますね。

さて川崎鉄三が設計したビルのうち現存するもの、実は近くにもう一棟 建っていました。 家に帰ってからググって知ったので写真は撮っていないのですがー
↓ストリートビューから絵を貰いました。


↑「昭和ビル」。(旧名称「カストム・ブローカー・ビル」)
同じ設計者によって建てられたビルは他にもあったようですが、 取り壊されたり 一部分しか残っていなかったり~だそう。 せめてこの「三兄弟(?)」には これからも仲良く 横浜で「現役」でいてほしいですね^^)/ おしまい。