
右手に桜堤の始まるポイント。(権現堂桜堤 西端)


↑因みに あの石碑は「御幸堤之碑」だそうです。(明治9年に 明治天皇がここに立ち寄られた事を記念して立てられたものとか。)
堤を超えると中川が見えました。

↑対岸には さっき権現堂川桜堤からも眺めた 旧-権現堂川(←現・行幸湖(ミユキコ))をせき止めている水門。


↑渡る橋の名「行幸橋(ミユキバシ)」。
↓橋からもう一度水門を見る。


あの向こうに今は大きな調整池となっている旧-権現堂川、があるんですねー。

↑時に 地図を見て「あら」だったのですが、
旧-権現堂川左岸(東側)に「元栗橋」という地名があります。/今の栗橋は西側にあるのですがー?
調べてみると「元栗橋」こそが 元々の栗橋で (戦国時代の北條方の栗橋城も 元栗橋側にあったそうなー) 江戸初期に 元栗橋から移住した人達が「現-栗橋」を拓いた~ のだそうです。/ 久喜市の「栗原宿の歴史」のPDF⇒* へ~っ
さてこの先 旧日光街道は しばらく 「のどかな田園地帯を進んで行く~」事になります。(ルート的には 国道4号線とほぼ重なっているのですけれどー)




バス停があった。けど_読めない^^;)

↑外国府間と書いてー「そとごうま」ですって。(もうイッチョおまけで_ 権現堂桜堤のあったあたりの地名は「内国府間(うちごうま)」だそう・・・)
分かれ道。


↑「右 徒(ツ)くば道」、
↓左側には「左 日光道」と刻まれています。

反対側は読めませんでしたがー

横の説明板によると_
「東 川つま道 まいはやし道」で、現在の「茨城県猿島郡五霞町川妻」「茨城県古河市前林」への道を示しているそうです。

_という訳で 左の日光道へ進んだ私達。



↑田んぼの中を 東武日光線が走る。
神社がありました。寄ってみましょう。


扁額には「雷電宮 権現宮」という字が陽刻されています。

二つの神社が合祀されているのかな?


近寄ってわかりましたが まだ社殿が新しいんですねー。
↓理由はー こちらを読んでわかりました。

↑「雷電社湯殿社合殿竣工記念碑
幸手市外国府間(ソトゴウマ)の当地に約三百年前から鎮座し地区住民の心の拠り所として慕われて来た雷電社湯殿社が平成十三年四月十六日午後四時頃不審火で全焼してしまいました (後略)」
元々の建屋は 「優れた彫刻」もあったとの事で... 残念。
時にこの「竣工記念碑」以外には 神社の由緒書きのような物は見つけられませんでした。御祭神とか 知りたかったなー。(とりあえず 鳥居扁額にあった「権現宮」が 日光の~ ではなく 「湯殿権現」であった事はわかりましたが・・・)
境内では他に_
素朴なお地蔵さん、


宝篋印塔や庚申さんや



それから 狛犬さん達に会いました。


新しい社殿、しっかりお守りしてね?
更に行きます。




新幹線の下を潜ります。



・・・バテテ参りました。

ちょっと離れたところに鳥居があっても 寄らずに素通りするやら 目当てのお地蔵様を見落とすやら・・・。


でもなんだのかんだので 気づけば栗橋宿に入っていました。




↑栗橋駅への道が見えてきた。
「じゃ次回はここから 続き を歩きましょう」とリーダーが宣告をし、道を駅の方へとりました。

(↑次回、のスタートの目当て「栗橋駅入口」の信号、 覚えておきましょう^^)
つづく