続いて訪ねたのは 鎌倉五山の第四、浄智寺。(臨済宗円覚寺派)
ゆるやかな坂を上っていくと やがて右手の先に門が見えてきました。
手前に石橋つきの池。
↑澄んだ水。
池を回って門へ向かいます。
門の上に額には「寶所在近」と書かれています。(無学祖元の筆によるものとか)
説明板。
少し行くと_
右手に駐車場。
更に行くと_
受付がありました。
拝観料を納め、
(↑イラストマップも一部頂きました。)
鐘楼門を潜ります。
額の字は「山居幽勝」。
その先_
右手に本堂。
掲げられた額には「曇華殿(ドンゲデン)」と書かれています。
(↑曇華は三千年に一度咲くという優曇華(ウドンゲ)の事だそう)
堂内には 本尊_阿弥陀如来・釈迦如来・弥勒如来の三世仏がいらっしゃいました。/ 三世仏はそれぞれ 過去・現在・未来を表している、そうなー。
屋根の上には北條の三つ鱗紋が四つ並んでいます。_ここは第5代執権・北条時頼の三男 北条宗政の菩提を弔うため 弘安4年(1281年)に建てられたお寺、なんですね。
時にお堂の屋根の先には 鬼瓦がありましたが_
鎌倉では 鬼の顔のついた鬼瓦は 珍しい、 んだそうです。(そうだっけー?) 以後 気を付けて見ていこうと思います。
お堂の裏手へ回ると_
角に 観音様が祀られていました。
(扁額 読めません_ 最後の文字は殿だと思うのですが^^;)
↓そばにあった札。
↑「鎌倉三十三観音 第三十一番 木造観音菩薩立像 / 南北朝時代造」だそうです。
↓壁に掛かっていた板には_
↑「けふよりぞ こがねのやまに入りにけり きよきさとりの ちゑをとりつゝ」という歌が書かれていました。
本堂裏からは 庭の向こうに 茅葺屋根の書院が見えました。
(書院にお子さんの姿が見えたので 「公開してるのかな?」と思ったのですが 法事・・・ だったもよう。後で伺ってみましたが 観光客は立ち入れませんでした。)
道なりに進みます。
道脇に観音様。(胸に幼子を抱いて_ どこか西洋の聖母子像のよう。)
更に行きます。
↑直進すると墓地_。
↓右手に回ります。
↑外来種の孟宗竹ではなく 日本古来の細い竹の竹林。
↓手押しポンプだ。
お参りの方用?
さて その先に イワタバコが茂る場所がありました。
↑丁度花も咲いていましたよ。
切岸の下には 肩を寄せ合うように 古い供養碑が並んでいます。
(↑元々は横穴をほって「やぐら(←墳墓)」が作られていたのに 崩落して 奥の壁だけになった~ っぽいですね?)
↑おや、これは?
↓横井戸、ですって。
入ってみます_。(「立って歩ける大きさ」なんです。)
微妙に曲がりながら・・・かなり掘り進んでますねー。(水が出るまで掘った、んでしょうか?)
ドン詰まりまできました。
・・・水はもう 枯れてしまったようです。 (だからこそ 歩いてここまで来られた、のですが^^;)
引き返します。
その先にもー
「やぐら」の見られる切岸がありました。
(↑えー? やぐらって「お墓」の事だと思ってましたが 「古くは住いとして」使われていたんですかー。 「大正から昭和初期までは、薪や木炭などのしまい場所になっていました。」というのにも へ~っ。)
さて ここ浄智寺には 「鎌倉江ノ島七福神」の 布袋様 がいらっしゃる場所でもあります。 何でも おなかをなでると 元気が貰える~ そうですよ?
屏風のような 薄い崖地に穿ったトンネルを通ります。
「ぽん」 と 隣の平場に出る。
↓あ、布袋さんは あそこだ。
↑ははは 布袋さんに笑われた???
そろそろおいとましましょう。
(↑さっき通ってきたトンネルー
↓は 通らないで書院の横を通って出口へ向かいます。)
左手に茅葺の茶室。
こちらは待合のようですね?
↓書院。
(↑面白い事に(?) 本堂側から見て「茅葺」だと思った書院は こちら側から見ると瓦葺なのでしたー。)
棟門を潜ります。
すぐそこが 「出口」。
ありがとうございました_。
<ちょっとおまけ>
本堂の近くで見た夏椿。
時に_ 夏椿は シャラソウジュ(←仏教の聖木) とも呼ばれる、そうですね。本物のシャラソウジュが日本で見られないため 代用として~ だそうですが、 『平家物語』の冒頭に出てくる沙羅双樹も 夏椿の事をいっているのでは という説がある、と聞きます。(なぜなら平安~鎌倉の時代 日本には本物のシャラソウジュは無かったからー。ですって。)
そうと思うと、 草地の上に ほとほと と落ちた様も ちょっと詫びて見えますね。