千津島(センヅジマ)観音堂の御開帳 | おだわらぐらし

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昨日_6月3日(土)は、「千津島観音堂の如意輪観音(ニョイリンカンノン)が 33年ぶりに御開帳となる~」 と聞き、亭主とお参りしてきました。


↓ポスターに載る ご本尊様と_

↓お前立ちさん。

↓近くまで行くと 参拝者用臨時駐車場に誘導してもらえました。(お世話様です。)


33年ぶりながら 一般へは「初公開」ですって。
(↓タウンニュースの記事。)
https://www.townnews.co.jp/0608/2023/02/25/666534.html
(↑これまでは限られた人しか拝めなかったんですね?)

↓駐車場から お堂に向かっております。

↓道脇に移動販売車。

↑「今風」の縁日の光景?

お堂の前まで来ました。


幟が立っています。先っちょには杉、かな?

↑字は 左が「南無如意輪観世音菩薩」。
↓右は「慈眼視衆生福聚海無量」。


参道にお神輿が置かれています。(仏様が乗るなら「お仏輿」?)

お神輿の後ろの柱には五色の帯(?)。後でわかりましたが これは堂内の本尊仏とつながっていたのです。

(↑柱の文字は「妙観察智」。)



堂内からは リンリンリン リンリリリン・・・ と風鈴の様な音が。しかし 規則正しくたたかれているので これは・・・ 楽器?


_音の正体(?)は、本尊仏の前で 地域の女性達がたたく「鉦吾(ショウゴ)」(←伏せたおリンの様な鳴らし物)でした。 女性達は鉦吾を ツルハシ形の小さなバチで叩いて鳴らしながら歌を歌っておいででしたが、御詠歌か何か だったのでしょうか・・・?/ 歌詞はわかりませんでしたが 素朴で心洗われる歌でしたー。

お堂の天井は格子形でした。


格子の内の板一枚一枚に描かれているのは~
明治時代にお堂が火事で焼失し、
その後再建された折に 寄進した方の紋だそう。

(↑下の逗子が 本尊物の逗子、です。)

↑紋と家名の対応表。/ 沢山の人がこの表の前で 自分の先祖が寄進した板はどこかを見ておいででした。
↓説明書き。


↓外にあった説明板です。(話の流れ的に ここに貼ります。)

(↑こちらは_千津島の名主(瀬戸家)の先祖が 難産で失った妻子の供養と 人々が二度と自分のような悲しみを味わうことのないようにという祈願から建立したお堂だそう。以来「安産と子育ての観音様」としてこの一帯の人々の信仰をあつめてきたといいます。)

(↑左下に 旧村名「福沢村」の由来になった福沢諭吉の写真。/ 福沢諭吉は 明治に入って建て直された観音堂に「拾円」を寄進した、と古い銘板にはあったそうです。)

内陣(←撮影禁止エリア)の真ん中の厨子の扉は開けられており、本尊仏の如意輪観音を間近に拝む事ができました。木彫りの素朴なお像で、右上が欠損していました。明治の火事の折に との事。痛ましや。でもなんとかご無事でよかった。

(↑説明板の写真。)



次の大開帳は33年後の2056年。
その時 鉦吾を叩きながら 声を合わせて歌を歌うご婦人達が おいででありますようにと、 心から思います。

ありがとうございました。

(↑参道脇のお地蔵さん達。)


この後は田植えの終わった水田エリアを東へ渡り、開成町へ行ってみました。

(↑畔に 点々・・・と植えられているのは 酔芙蓉かなー?)

_ つづく