(つづき)
国道一号線の下を潜ります。
↓えー ややこしいのですが あの立体交差になっているラインも「国道一号線」_ (奥は箱根新道への合流線)_になります。
道なりに進みます。
吊り橋が現れました。
山崎と対岸の前田を結ぶ 前田橋です。
(補足/ 現在「山崎」「前田」という地名はありません。 かつての「湯本村山崎」は 「箱根町湯本」になっています。 が、今も 「山崎インターチェンジ」 「山崎発電所」 「山崎公園」 「山崎集会所」 「山崎バス停」~ などに 山崎は「どっこい生きている」んですねー。/ 「前田」も現在は「箱根町湯本」。前田の方は・・・ググったけれど「前田橋」の他は「前田町営住宅」位にしか「前田」の名、残っていないもよう・・・↓)
あ、向こう(前田側)から二人の方がこちら(山崎側)へ渡ってこられますよ。 後からこちらの橋のたもとに着いた方が 先の二人が渡り切るのを待っておられます。
↓二人の方が渡り終えると 待ってた方があちらへ渡られますー。
こんな(暗黙の内の)お約束、になってるんですね?
↓橋の耐久性を考えてでしょう こんな「重量制限」が設けられていました。「つり橋の一度に渡れる人数は 大人4人まで 子供8人まで / 危険です!揺らしたりせず静かに渡ってください。」
又右の支柱には「歩行者専用 / オートバイ・自転車は降りてゆっくり渡ってください。」と書かれています。
(↑左の支柱に取り付けられたプレートには「昭和五十七年三月吉日竣工 施工(株)勝俣組」と記されています。/ 右の支柱には「前田橋」。)
さて 我々も渡ってみましょう。
川上側_すぐ横が箱根新道(←昔有料道路でしたが2011年から無料になってます。)の「湯川橋」。
↓川下側。
振り返って見た 山崎側。
前田側。
渡り切りましたー。
脇に設置されていた説明板。
↓「小田原馬車鉄道・電気鉄道 前田橋跡
明治21年(1881)10月、国府津~湯本間に開通した小田原馬車鉄道の前田橋跡です。
馬車鉄道は、湯本山崎の台地が越え難いため、小田原の風祭から屋は川左岸の堤防沿いに走り、湯本山崎でここ前田橋を渡って、早川の右岸に出、上流の落合橋で再び早川を渡りました。
この橋は、明治33年(1900)馬車鉄道から電気鉄道に代わっても使われましたが、明治43年(1910)8月の大洪水で落合橋と共に流失し、大正2年(1913)に鉄道は現在とほぼ同じ 山側を走るようになりました。」
↑んー? もしかして左下には写真か絵のパネルが貼られていたのでしょうか?(もしそうなら 是非見たいもの。ネット上に 同時期に流失したという「落合橋」はあるものの「前田橋」は見つからないんですよー。)
しかし_この説明板を読んだだけでは 現前田橋が 旧前田橋の「後継機」かどうか 今一よくわかりません。もういっちょ、「旧前田橋」の正確な位置 がわかるものを置いて頂きたいなあ。
又 今の前田橋が 一度に大人4人しか渡れない「吊り橋」になったいきさつも、知りたいなあー。
(↑アンカーリッジ部分)
(↓横の張り。)
下へ下りる階段がありました。
もういっちょ 水辺に下りる梯子も。
梯子の手すりについていたパネル。
↑「釣りをする皆さんへ
入漁証を必ず買い求めください。
店売り1,300円、現場売り2,000円、年券10,000円
小田原市内の各釣具店、ローソン風祭店、セブンイレブン板橋店 及び箱根湯本駅前店、箱根観光旅館協会(湯本駅前)他、取扱い看板のある場所。
遊漁料をお求めにならないで釣りをした場合、現場売りとなり、割増料金となりますので、ご了承ください。
一、解禁期間
ニジマス・ヤマメなど渓流魚 3月1日から10月14日まで
鮎 6月1日から10月14日まで
鮎(大窪橋から旧早川橋限定) 12月1日から31日まで
二、全魚種禁漁期間
1月1日から2月末日まで
10月15日から11月30日、あで(特別採捕等、例外有)
漁協の遊漁規則を守って釣りをしてください。
令和3年1月 早川河川漁業協同組合」
(↑こんな看板も いつか「資料」になるかもー・・・)
おや、湯川橋の下が潜れるようです。
なかなか 良い眺めー。
さて、戻って参りましょう。
この後は「山崎バス停」からバスに乗って 小田原へ帰りました。
おしまい。