では伺ってみましょう 湯前神社。
鳥居横の駒札には_
「熱海市指定文化財
湯前神社 石鳥居・石灯籠
平成十八年十二月四日熱海市教育委員会指定(第建三号・第建四号)(←第建って何かの略かな?それとも専門用語?)
<認定理由> 湯前神社石鳥居、石灯籠(境内中段左右二基)は、江戸時代に熱海温泉に当時した大名が寄進した石造物で、熱海温泉の歴史を考える上で特に意義のある資料です。
熱海市内には、江戸時代に遡る石丁場がいたるところに存在し、産石業が盛んであったと考えられるが、伊豆東海岸で多く産出される安山岩を使用して作られた石鳥い、石灯籠は熱海市の産石業を考える上で貴重な資料です。
<由来> 石鳥居
安永九年(1780)八月に第七代久留米藩主有馬頼徸(ヨリユキ)公が来湯し、九月に御帰館する際、湯前権現(現湯前神社)に寄進されたものです。
鳥居の高さは345cm、横幅410cm、柱の太さは105cm(直径35cm)で両柱の石をくり抜き造りあげた石の鳥居は、全国的にも稀な建造物です。
石灯籠
宝暦八年(1758)夏に第七代久留米藩主有馬頼徸公が熱海に来湯した際、湯前権現(現湯前神社)に寄進されたものです。
石灯籠の高さは205cm、横幅75cm、柱の太さは105cm(直径35cm) (何基奉納されたのか 書かれていませんね・・・)
石鳥居・石灯籠とも関東大震災等多くの自然災害にも倒壊することなく今日に至っていますが 石鳥居は、柱に捩れが生じたことから平成15年5月に基礎部分の修復工事を行いました。
寄進の時期は、石鳥居・石灯籠の本体に刻印があります。
(後略)」
_と書かれていました。
では久留米の殿様が寄進なさったという石鳥居を潜って境内へ。
(↑木の扁額が掛かっていました。)
左手に由緒書。
「湯前神社由来記
祭神 少彦名神(スクナヒコナノカミ)
玄古(イニシエ) 大巳(己?)貴神(オオナモチノカミ)、少彦名神の二柱我が秋津洲民が夭折(ワカジニ)することを憫(アワレ)み禁薬(クスリ)と温泉の術を制めたまいき(伊豆風土記)とある如く温泉の神と(し?)て古代から古代から尊崇されている。
例祭 二月十日。十月十日。
由緒 旧記に依れば「今から一千二百余年前(天平勝宝元年)神、小童に託して曰く、諸人此なる温泉に浴せば諸病悉く治癒せんと 因って里人祠をたて少彦名神を祀る」とあり。
然れども往古熱海に温泉の湧出せし時には既に祀られしものと考えられる。永正十八年、寛文七年に再興している。平安朝の頃より徳川明治に至るまで公家、将軍、大名等を始め入浴者及び一般庶民の崇敬が篤い。
特殊神事 献湯祭(ケントウサイ)。湯汲み道中。
毎年春秋二季節の例祭に当り神前に元湯の温泉を献湯して浴客の健康安全を祈り併せて江戸城へ当温泉を献上し往古を偲んで古式に則り「湯汲み道中」が行われ 此の日は市中が賑わう。」
(+/ Wikiに載る話ですが_『式内社調査報告』によると 「本来は大湯(←神社のすぐ近くに湧く 熱海七湯の筆頭・間歇泉)そのものを神として祀ったものと思われる」 そうです。 又 『湯前権現拝殿再興勧進帳』によると_万巻(満願)上人の祈祷で 海中に湧いていた湯脈が陸に移った、 そのそばに「湯前権現」として温泉の守護神を祀ったのが始めー とも。)
右手に手水処。
でこの水が温泉で ・・・ あちち という熱湯でした。
水盤の上の段に子を抱く夫婦神のように見える像がありましたが、こちらの祭神は 「少彦名神と大巳(己)貴神(≒大国様)」ですから 手前の女人と見える像は少彦名かな?
えーさて 久留米の殿様が寄進なさったという石灯籠は 手水処と由緒書の横の 一対、かな? 上の段の一対、かしら? 両方?
(↑↓似てるようで ちょっと違うようにも見える上段 下段の灯籠・・・/柱に刻まれている奉納された年までちゃんと確認すればよかったなー)
ともあれ 石段を上り 社殿の前へ。
ちょっと人に近い顔を持つ狛犬達。(マンティコア系?)
長めの鬣がワイルドだろー?
改めて_
湯前神社、です。
古くは 温泉の守護・鎮守の神「湯前権現」として尊ばれてきた神様に ご挨拶。
余談ながら_
木鼻の彫刻は大抵獏ですが これは 大きな耳をもってるから・・・ 象ですね?
拝殿の中を覗くと 両脇に随神さんがお座りでした。(拝殿内に随神さん というのは珍しいかも?)/ 又「将軍家御用」という札の置かれた丹塗りの桶も。江戸への献湯に際し この神社が神事を行っていたんですね?
(↑↓こちらの神紋は三つ巴のようですね?)
境内に実朝の歌碑がありました。
「都より 巽にあたり 出湯あり 名はあづま路の 熱海といふ」
んー 熱海の良さを京の人に伝える仕事をして下さったようですが、 将軍様ぁー ここは「都の巽(タツミ=東南)」じゃあ・・・ないなあ^^;)
ありがとうございました。
<おまけ>
「熱海七湯巡り」の続きを歩こうと 境内を出て坂を上がっていたら 神社の玉垣脇_いや 玉垣の中、に? 大きな楠が現れました。(玉垣が築かれる以前から木があったのですね?)
市の天然記念物だそうです。
↓行き過ぎて振り返ったら 幹が空洞になっていました。
(↑瘤取り爺さんが雨宿りに使ったのはこんな木だった?)
さて、もう少し坂を上ります。
左手に「大湯」という看板を掲げる入浴施設がありました。
こちら「日航亭-大湯」は 現在は日帰り入浴施設として営業されてますが 元々は旅館(昭和16年創業)、だったそう。
ブロックのトンネルのようなゲイト。
(↑ちょっとジェンガみたいでどきどきする?)
壁に利用案内。
(↑レトロでよさげ。いつか利用してみたいな~)