バス停「支所前」近くの 寄(ヤドリキ)神社へ寄ってみました。


(↑車はバス停そばの登山者用臨時駐車場へ置かせてもらいました。)
尚 バス停名「支所前」の”支所”は 松田町 寄(ヤドリキ)出張所 の事をさしている模様ー。


(↑建屋名としては「寄総合センター」かな?/ 建屋の画像撮り忘れたので ストリートビューから絵 貰いました。)
↓総合センターの向こうに 立派な杉が見えます。


注連縄が巻かれています。御神木かな?

↓近くにあった説明板。

「大杉
昭和四十六年四月一日 松田町文化財指定
寄神社 社頭にあり 目通り周囲5.87m 樹高約330m 推定樹齢550年。 地上12mのところでいくつかの太枝に分岐し四方に大きく広がっている姿は、堂々として迫力があり、昭和六十二年に神奈川の銘木100選に選ばれた。
昔は現診療所際のカヤの木と神社石段左側の欅と、この大杉とを宮下三大木と称せられた。残存の一本とは言え、千年のみどりをたたえ、樹勢ますます旺盛なところにあやかって寄小学校、中学校校歌及び応援歌の一節に歌われる名木である。
松田町教育委員会」
説明板横には_


↑「堅牢地神(ケンロウジシン)」と彫られた文字塔も立っていました。
神社の方へ向かいます。

(↑道脇に「弥勒寺」という標識。/弥勒寺というのは 明治時代に「寄村」を構成した七つの村の一つ、ですが 今も地区名として使われているようですね? 地図を見ると近くに「弥勒寺多目的集会施設」などもあります。)

↑銅(?)の鳥居。
↓扁額。

石段の上に 建屋?

通り抜けできるようになってるから 門?

中は_

右手(東側)に稲藁の束が沢山~。(祭の前に氏子さん達が集まって縄ないが行われる、とか???)



↑門(?)の西側は 集会所・・・でしょうか?
社殿。


左に銀杏・・・。ん?幹が太いのに低い?/あ、大木が倒れるも残った組織が頑張って命を繋いだ、のかな?

近寄ってみると、根方に小さな鳥居が。



鳥居には「安産祈願 柏葉」と書かれた札、奥には双体道祖神が彫られた石が。

(↑別角度から)
↓近くにあった説明板。

「大銀杏
目通り周囲6.25m、樹高5m、推定樹齢約七百年。
建久三年(1192年)八月九日、時の鎌倉幕府将軍源頼朝の正室政子御台所安産祈願の為、相模の二十数社寺に特使を参拝させた(歴史書吾妻鏡に記載)とあるが、当寄神社(当時は弥勒寺という寺院であった)もその中に含まれる。その折、記念の為本銀杏を植樹されたもの(樹齢からして疑問もあるが)と古来伝えられる。
江戸時代後期の文政六年(1823年)、旅人の焚火による堂宇焼失の際、本銀杏も一部類焼失したが、再び樹勢を取り戻し、神木としての威容を保っていた。
しかしながら、惜しくも平成二十五年(2013年)十月、台風二十六号の強風、強雨により根元より倒木した。
倒木前は、樹高30m、枝張12mほどもあり、古き歴史を物語る地域のシンボルであった。この由緒ある巨木を失うことは忍びがたく、地域の多くの人々の大銀杏再生の願いにより、直ちに幹の上部を大幅に切りつめ。根本に適正な処置を施し、元の場所 植え直された。
その後は何とか枝葉の緑も保たれ、現在に至っている。
松田町教育委員会」
↑おお、人の知恵と力を注いであげた結果が 今の大銀杏、なんだー。(多くの人に愛される銀杏よ、これからも どうぞ長生きしてね。)
そして そっかー「寄神社」は元々は「弥勒寺」(←現・地域名、旧・村名)だったのねー。
改めて_ 寄神社。

前身が弥勒寺と知った事もあり 「確かに窓が火灯窓で 禅寺風だなー」です。
↓屋根の紋は三つ巴。



虹梁に龍。木鼻には獅子と獏。

入口上に扁額。


↑扁額の文字は「寄神社」。
↓あ、拝殿奥に「弥勒神社」という社号が見えます。




↑額の下の彫刻は波に亀。
↓その右は松と鷹のよう。

↓左の白い鳥は・・・ 鷺かな?鳩かな?

横の壁の上には・・・

↓水鳥・・・白鳥かな?

(↑上の小壁は 鏝絵のようにも見えますが 横線が木目っぽくもある・・・)
拝殿内には他に お神輿も置かれていました。

内陣(元お寺ですからね)を見るとー

「弥勒神社」の扁額。

(グーグルマップを見ると「寄神社」の横に括弧入りで(弥勒神社)とも書かれています。/弥勒神社という社号は今も現役 なのかしら?)
御祭神のお名前を知らねば、と由緒書を探しましたら・・・
ありました、由緒書↓

しかし 読みにくかったので「帰ってから調べましょう」にしました・・・^^;)
↓県神社庁の「寄神社」の頁。
https://www.kanagawa-jinja.or.jp/search_dtl.php4?jid=994&cd=1210231&scd=&npg=1
↑御祭神の名前が 沢山並んでいますー。(明治に入って 七つの村が集まって 一つの「寄村」になって、「一村一社制」で 各村の神様が一堂(一社)に集められたんですねー。
・・・にしても 一番上にお名前のある 弥勒大神 ( みろくのおおかみ )_ 仏様を神格化したようですが、祀る村の皆さんも 祀られる弥勒様も お大変な事だったでしょうね・・・。
今建つ神社建屋は 元々は禅宗の弥勒寺の弥勒堂があった場所_に明治9年に建てられたものなんですねー。明治30年に神殿造りに改築された~ そうですが、今もどこか禅宗のお寺の雰囲気を漂わせていますし「弥勒」の名も残されています。/ 私も「弥勒」の二つ名、覚えたいと思います。
社殿を一回り。







(↑神殿部への渡廊下の上は 平屋根)
↓拝殿側。

↓神殿側。

渉り廊下の下を潜ります。



ありがとうございました。

てっきり村の産土神さん達を集めた社かと思ったら、 「吾妻鏡に登場」と 思いもかけず歴史あるお堂(社)で 正直驚きました。
これからも大切に 守られていきますように。/ おしまい。