網代(アジロ)の長谷寺(チョウコクジ) | おだわらぐらし

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縁あって暮らす事になった相模の国 小田原
一杯見て 一杯歩いて 一杯味わいたいと思います

南熱海は網代山(アジロヤマ)の「大鯛(オオダイ)」に一泊した帰りー・・・

車のナビに「長谷観音」という表示が出たので 「網代に? ハセカンノン?」。/ 興味を覚え 寄ってみました_。

↓135号線脇の「網代長谷観音」と刻まれた石柱。

↓そのそばの由緒書_

「網代長谷観音縁起
当堂の本尊は、行儀菩薩作の観音像である 行儀菩薩作の観音像■世に三体存在・・・大和長谷観音 鎌倉長谷観音と 当堂の本尊である。 これらは一木から三体作られたが故に 一木三体観音と伝承さ・・・ 初めは、屏風岩・・・ 道の・・・横、 洞窟内(俗に大穴・・・ に二人の・・・ がこの像を置き、日夜香華を・・・ て礼拝して・・・を 網代(善?)修院の開祖 大■和尚・・・現在地に一堂を創建・・・尊像・・・し、安置し・・・ので・・・ 境内は、東南に展け■根(越?)・・・ 中腹にあり、古雅閑寂・・・の明媚な眺望は毎日新聞 日本観光事業・・・ 伊豆名所と・・・選出・・・一勝地である。/ 網代町/昭和三十年盛夏」
ところどころ読めませんが 奈良 鎌倉 の長谷(ハセ)観音と ここ網代の長谷観音が 「同じ一本の木から作られた観音像だ」というのは スゴイ!ですね。
(↑って この文を読んだのは 家に帰ってから、なんですがー)


車で少し坂を上がるとー
竹林に囲まれた 駐車場~? と思われる場所が現れました。



↑左に 境内に続く~と思われる細い舗装路。
↓右に 門に続く石段。



車を降り、石段を上がります。

門。

扁額に寺号「長谷寺」。

道なりに進みます。

清々とした竹林脇を歩くのは 気持ちの良いものだなあ。

あ、車が停まってる。

てっきり 私達より先にお寺を訪ねた観光客かと思い 「お早うございますー」と挨拶したのですがー 実はお寺に御用があっておみえの方でした。(お急ぎのところ 馴れ馴れしく話しかけてスミマセンでした)

が、この方が
お寺と 御本尊様について(ごく短い時間でしたが)教えて下さったんですよ。 「奈良・鎌倉・網代の観音像は 一木三体観音 である事」「海側へ上がったところにも見所が」など。

で、その方がお発ちになった後_
お参りをさせてもらいましたー。

まずは観音堂へ。


石段脇の木は蝋梅で もう花をつけていました!


(↑辺りにはスイセンに似た甘く爽やかな香りが漂ってました。)

お堂の手前に 正面(こちら) を向く狛犬達がいました。




(↑こわい、ような 愛嬌がある、ようなー)


↑龍の載る虹梁。その奥に寺号を記した扁額。/残念ながら本尊物の観音様は拝見かないませんでしたがー。


帰ってからググって知りましたが こちらの寺号は「チョウコクジ」と読み、山号は「根越山(ネゴエサン)」 宗派は「曹洞宗」だそうです。 (因みにですが、奈良の長谷寺(ハセデラ)は真言宗豊山派、 鎌倉の長谷寺は浄土宗系単立寺院。/ 鎌倉の長谷観音にも「奈良の長谷寺の観音像と同じ木から作られた観音像が、行基によって海に流された。 この像は15年後に相模湾で発見され、鎌倉に運ばれて長谷で祀られる事になった。」という「一木二体」の伝承があります。/ もうひとこえ、的に 「一木三体」で 三体目の観音様が曹洞宗のお寺で守られていてもよい、ように思います。)


お堂へご挨拶した後はー

(↑海側を向いています)
石段を下り、右手の弁天さんの祠(多分)の向こうの小堂の方へ。



右側の無垢材のお堂はー

「太子堂」でした。


↓近くにあった「太子堂建造の由来」の記された石。

(↑大正十二年に網代職工組合によって建てられたお堂で「正、五、九の各月に技量の向上と息災を祈念して太子祭を行い現在に至っています。」との事。/ スタートが「0」始まりではなく「1(正月)」始まり、なんですねー。きっと大正時代には 日常 にあってはまだ「満」ではなく「数え」が 使われていたんでしょうね?)

隣の丹塗りのお堂はー

扁額が無くー

どなたが祀られているのかわかりませんでしたが、
扉前に 小さな小さな それでも「狛犬」とわかる石像が向き合って置かれていてー

今も現役で守護の役を務めているようでした。

少し門の方へ戻るとー
「三十三観世音菩薩」という 石仏群がありました。

(↑説明板)






↑素朴な石仏達_。 味わいがあって良いですね。

海側に塔のような物が立ってます。何でしょう?

横に説明板?

・・・説明板は塔(?)ではなく
「東海呑吐(ドント)の句碑」について 書かれたものでした。(呑吐は「熱海俳壇の祖」といわれる方だそう。)


↑んー「呑吐居士(ドントコジ?)」と彫られたこの石はー 句碑ではなく供養塔でしょうね? どれが句碑かなー?
↓これは句碑だけどー 説明板で呑吐さんの句として紹介されてる「散る時は はてしれなくて 秋の月」ではありませんね・・・。

(誰の何という句でしょう?)

で、こっちの塔かと見えたのはー

中に電球があったので「灯籠かな?」

(色ガラスがはめられていて、灯籠としてはかなり斬新な感じもしますがー)

わからないままの事も多かったのですがー


とりあえず こんなのが この日私達が何の予備知識もないままお訪ねした 網代の長谷寺 なのでしたー。 / おしまい。