龍華寺(リュウゲジ) | おだわらぐらし

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縁あって暮らす事になった相模の国 小田原
一杯見て 一杯歩いて 一杯味わいたいと思います

静岡旅行 二日目、最初に訪ねたのは龍華寺(リュウゲジ)。日蓮宗の寺院だそうです。

(↑駐車場から山門の方を見てます。)
↓境内図。/上に「富士山の眺めのいいお寺 観富山 龍華寺」とあります。(山号は富士の眺望から~ ですかね?)/ 寺紋は「丸に沢瀉(オモダカ)」のよう。


山門_。


↓寺号標。

↑その先の入口(左側)は「厄除門」、
↓右は「開運門」となってました。(でこちらが出口、なのでした。)

↓尚、山門の真ん中には柵が置かれておりー

通り抜けお断り、に。
(↓+門扉に寺紋の丸に沢瀉。)


↑お寺のHPによると_ 「丸に沢瀉」の紋は、家康の側室にして 水戸家の初代-頼宣+紀州家の初代-頼房の母であるおまんの方(養珠院)、の実家-水野氏の紋 なんですって。 (ただ_ネットで調べるとおまんの方の実家は三浦系。 水野氏は「家康の母-おだいの方」の実家のようで・・・ どこから沢瀉紋が?/_とそれはおいておいて_)
↓まずは 参観受付 へ。

受付からは ガイドさんに案内して頂いたのですが、お話が面白く 手が止まってしまいまして ・・・ 写真あれこれ撮り損ねました ・・・。

と そういう訳で 文ばかり~ ですが_

*龍華寺は_おまんの方が猶子としていた日近(ニチゴン)上人が、おまんの方の埋葬地である身延大野山本遠寺(ホンノンジ)の法主の座を退いた後に建てたお寺。/ 本遠寺を離れた日近は ここ龍華寺でも おまんの方の冥福を祈る日々を送ったそうです。

*尚、日近にこの地を寄進したのはおまんの方の息子徳川頼宣(初代和歌山藩主)。 日近が 頼宣の正室-加藤清正の娘:八十姫の葬儀の折 大導師をつとめた事から~ だそうで、頼宣側から見るとこの寺は 母と妻の菩提を弔ってくれる有難い寺 なんですね。

*更に_頼宣の息子_紀州家二代目の光貞の正室-安之宮照子女王(伏見宮貞清親王の娘)が日近を深く敬っており、この寺の開山を時の天皇-東山天皇に奏上し、「観富山」の山号を賜っています。/ こうした縁から 今もこの寺へは宮家の方々のお訪ねがある~ のだそうです。


最初に見た祖師堂も撮り損ねてるんですよ・・・

(↑菩提樹を撮ったものですが 右後ろにかろうじて祖師堂の屋根が・・・)
↓山号。(多分祖師堂の入口上に掛かっていたんじゃなかったかな)))


その隣が本堂。


茅葺の屋根が美しい。

↓寺号。

でこの 本堂の先に~

素晴らしいお庭が広がっていたんです。




(↑特にこの もりもりした松の上にお堂(七面堂)を見上げる~ とくのが異世界っぽくてイイ。)


お庭には他に_
↓名物のソテツ、


↓サボテン などがありました。


樗牛館(チョギュウカン)も見ています。


私自身は 不勉強で 樗牛(高山樗牛)という方は 前日の清見寺で初めて知ったのですが_、
将来を嘱望されながら結核のため文部省からの海外留学の命に応えられず 清水で療養生活を送らざるを得なかった樗牛は、 この地で『清見寺鐘声』を書き 日蓮の研究をして『日蓮上人とは如何なる人ぞ』を著し そして ここ龍華寺に 自らの希望で埋葬された_ 清水側から見ると 清水の名を高め広めてくれた人、 なんですねー。

短い滞在時間でしたが 沢山 見聞きし学ぶことができました。


ありがとうございました。


この後は (すぐ近くの) 鉄舟寺へ行っております。/ つづく