川越城本丸御殿址 | おだわらぐらし

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縁あって暮らす事になった相模の国 小田原
一杯見て 一杯歩いて 一杯味わいたいと思います

川越城跡、にやってきました。

↓MAP (下が北 / グーグルMAPと見比べる時不便なので こういうMAPは北を上にしてもらいたいなあー)

「川越城は、長禄元年(1457)に扇谷上杉持朝の命により、太田道真・道灌父子らによって築城されました。(異説あり) 戦国時代になると 後北条氏が武蔵に進出し、天文15年(1546)の河超合戦で北条氏康は扇谷上杉朝正に勝利し、以後川越城は後北条氏の支配下となりました。
 天正18年(1590)、豊臣秀吉が後北条氏を滅ぼすと、関東は徳川家康の領地となり、川越城には重臣酒井重忠が配置されました。特に三代将軍家光の代、城主となった松平信綱は城を拡張し、本丸、二ノ丸、三ノ丸といった各曲輪等を構えた総面積98,976坪(訳329,000㎡)余りの規模を持つ城郭になりました。弘化3年(1846)、二ノ丸で火災があり、御殿が焼失したため、城主松平斉典(ナリツネ)は 2年後の嘉永元年(1848)9月に御殿を本丸に再建しました。
 明治維新を迎えると、川越城は解体が始まり、曲輪等は宅地や学校等に利用されましたが、御殿の一部は川越県庁や入間郡公会所といった公共施設に利用され、解体を免れたため、現在も東日本に唯一残る御殿建築として、また歴史ある川越の表玄関として威風を放っています。」 ナルホドー

あ、あれが本丸御殿のようですね。

↓ここが「本丸門跡」ですか。

(↓でもその左のパネルでは「北門」になってる。本丸門=北門、なのかな?/因みに さっき見たMAPには「北門」で載ってますね。)

説明板の後ろの 盛り土 のように見えるのは土塁(再現?)、みたいですね。


(↑右上のMAPは 左が北。下段真ん中の古い絵図と比較ができるように という事でしょうが 正直わかりにくい^^; / 赤で示された「現在地」=「北門」の右が本丸、左は二ノ丸、です。MAPにも二ノ丸の文字があるとよいのになー)

で・・・ 北門の方を向く ここが御殿への入口かな?と思ったらー

違ってた。

(意外に質素だな、と思いながら撮ってましたー)



↑ここは「中之口」という出入口でした・・・。

こちら、東に向いて開いているのが 玄関。


おー、「さすが」な感じです。

塀も重厚。かつ御洒落。



(↑何というか リズミカル?)

ごめんください。/お代を納めようと思ったら・・・

無料の日、ですってよ?ラッキー。

撮影もOK。

(↑東の廊下から南を向いたところ ↓北を向いたところ)

↓江戸時代の川越城、俯瞰図。(下が北)

↓館内図。(今度は右が北)

↑江戸時代はこの左手に書院が続いていたそうですが、明治に入って解体されています。 でも、本丸御殿の玄関や大広間は残された。なぜなら「入間(イルマ)県県庁」として使われたから~。↑図で右上に記されている別棟「家老詰所」は 元々はもっと離れた場所にあったのですが 城址を整備する際 現在地に移築された、との事です。

↓御殿と家老詰め所の 元の位置関係。


「広間」の写真から貼ります。(順路的には最後に観る場所ですが 話の都合上_)

36畳のこの広間は「来客が城主のお出ましまでの間 待機した部屋」。尚、城主との対面は(今は失われている)「大書院」で行われた、そうです。

↑玄関の向かいにある広間は 廊下から入ると正面が床の間、右手に白壁、という造りでした。
↓床の間には とりあえず的に(?) 甲冑が飾られていました。(鎌倉初期のものだそう。へーっ)

南に立派な板襖。松と日の出。目出度く、玄関 上がってすぐの広間にふさわしいー


↑~ と思ったら これは元々は「廊下の間仕切りに使われていたもの」とか。

北側の板襖にはー

松に笹(竹)。こちらも縁起がよさそうです。


↓「説明文」


広間の南には、「使者の間」「使番詰所」「番抜老体詰所」「物頭詰所」が並んでいました。

(↑↓「使者の間」)

(↓「使番詰所」)

(↓「番抜老体詰所」)

(↓「物頭詰所」)

(どういうお役の人達が詰めていたのかなー/番抜け老体って何歳位のお爺さんだろー)

南北に走る廊下は、「物頭詰所」の先で西へ折れ、

↑「明治棟」という 現在は展示室とお手洗いになっている建屋に繋がっています。(明治棟は、本丸御殿が県庁庁舎となったため 建て増しされた棟と考えられているそうです。)
↓が、江戸時代は 今の御殿建屋の南に (東西に走るの廊下の先、に) 書院 が続いており、

↑廊下南側の木材 (右の 現在「庭」にに面している箇所)に 「痕跡」 が残っているそうです。

↓裏の廊下。(右が広間~各詰所の並び)

↑ここから左(西)へ分岐する廊下を進みー
↓家老詰め所へ行ってみます。





家老詰所案内図




(↑落とし錠)





ご老中 発見。

「台場」の絵図面を見ながら 江戸の沿岸警備について相談をしているところ~ ですって。

(↑ん-結って時間が経って 髷が後ろへずれちゃった? タボが膨らんで町人の髷みたいー)))

↑角度を変えてー。

縁側から南の庭を見る。

(↓あの 点々と並んだ丸瓦が 本丸東端の御殿と西端の家老詰所を結んでいた「廊下」の場所を示しているんですね。)




詰所北の廊下。

(北廊下の西端と東端には お手洗いが設けられていました。/割とイイ環境だったのではアリマスマイカ)

詰所北廊下から見た 御殿の裏廊下。


裏廊下を通って御殿の「中之口」に出たところ。

(↑左のパネルの向こうが 北門側に設けられた出入口、です。)
↓中之口の先、御殿の北東の角は「徒詰所(カチツメショ)」という部屋でした。

(警備の人が詰めてた所のようですがー 北門を通る人のチェック 中之口から入る人の出迎えなどをした、のかしらー?)
_これで一周した事に。


ありがとうございました。

続いては 本丸御殿の近くの「天神曲輪」にある「通りゃんせ」ゆかりの~ と聞く 三芳野神社 へ行ってみましょう。