大仁(オオヒト)散歩-2:大仁神社 | おだわらぐらし

おだわらぐらし

縁あって暮らす事になった相模の国 小田原
一杯見て 一杯歩いて 一杯味わいたいと思います

水晶山(スイショウザン)に続いては 大仁神社へ行ってみました。

(↑社号標の先に赤い鳥居、上にチラと拝殿の屋根が覗いています。)
↓赤い鳥居 まできました。

↓鳥居の扁額にも社号が記されています。

「神橋」、を渡ります。


石段を上がるとそこは 古代地中海の「半円形の野外劇場」のような 不思議な場所でー・・・

もう一段上の社殿へあがる石段の両側_円形劇場の観客席にあたる部分に 梅が植えられていました。 





↓「大仁梅林」、っていうんですね。

(満開の頃は どんな景色になるのだろう~)
どんな謂われがあってのこの造り?
と思ったのですが、ネットによるとー
「昭和32年(1957)に 第十二回国民体育大会が静岡県で開かれ、大仁神社はその 相撲 の競技会場となった」事から整備された結果、との事! / へー。

社殿へ向かう前に 手を清めましょう。

石の鳥居のそばの手水舎。

吐水口が鮎ですー。

(↑しかも ヤナ つき?)

(+/ 実はこの手水舎前の広場は 神社の駐車場だったようで、 ここに車を置いてお参りなさる方もありました。/ どなたかのお役に立てるかも、と書き足します。)

社殿へ。


おや、屋根の紋が・・・


↑天狗の団扇???


狛犬が近づいてきた。


拝殿前に到着。
ご挨拶。
お賽銭箱には「報本」の文字。


由緒書きが見つけられなかったので 市の観光のページに載っていた文から拾い書きさせて頂きますと_

大同年間(806~810年)に滋賀の日吉大社から勧請~ という古社で 江戸時代までは「山王社山王宮」と呼ばれていたそうです。が、明治に入り(1868)「大山咋命神社」に、その後(1909)「大仁神社」に改称されています。
祭神は 日吉の神である大山咋命(オオヤマクイノカミ)。相殿には 誉田別命(ホンダワケノミコト)・倉稲魂命(ウカノミタマノミコト)・火産霊命(ホムスビノカミ)が祀られているそうです。

日吉の大山咋は天狗と同一視される事があるそうですが (大山咋の眷属が猿、猿田彦が天狗と同一視される、大山咋が天狗とダイレクトに~?) 屋根にのる紋が天狗の団扇に似ているのには もしかしたら そんなこんな、が?

拝殿入口が開いていたので 中へ。

小壁に立派な絵馬。

下に「武士のたしなみの一駒」という文が付けられています。(前九年の役での事、前を 衣川の館(コロモガワノヤカタ)を守る安倍 貞任が逃げ それを源頼義が追っています。頼義が「衣のたてはほころびにけり (あなたの衣のたて糸が切れてる=衣川の館の盾はほころんでいる)」と 下の句を言うと 貞任は振り向いて、「年を経し糸の乱れの苦しさに(長く使っているから=自分が年をとったから)」と上の句を答える_。義家はその見事な返しを聞くと 追うのをやめたー そうなー。)←今では考えられないやりとりですね。

ありがとうございました。


境内社には 他にお稲荷さん、



お祭りの用具の収納庫?

(↑扉の上には「天王祭」と書かれた板。天王とは牛頭天王(八坂さん)の事でしょうか?)
_などがありました。


梅林の上へ上がるとー



西に崖_ 金山城があったという「城山(ジョウヤマ)」が見えました。

あの山の向こうが(午前中にロープウェイで上がった)葛城山の碧テラスになるー ・・・ らしい。


そろそろ宿へ向かいましょう。

つづく_