「小田原の縄文人」展(小田原市郷土文化館) | おだわらぐらし

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縁あって暮らす事になった相模の国 小田原
一杯見て 一杯歩いて 一杯味わいたいと思います

_ という訳で、昼ご飯を食べた後は スタンプラリーをコンプリートして(って二か所ですけどね)缶バッジをGETすべく_
小田原市郷土文化館へ行ってみました。

(↑南の堀に架かる お茶壺橋。)
(↓郷土文化館は あの南堀に張り出したテラスを持つ建屋ですが、残念ながら老朽化のためテラスへは「立ち入り禁止」ですー・・・)


お茶壺橋を渡って城址公園内へ。

↓左手に見えてくる郷土文化館建屋。


↑「小田原の縄文人 / 小田原市最新出土品展二〇二二」の立て看板。

↓入館します。


(因みにこちらは 無料施設。)

入口入ってすぐの所に スタンプラリーのお知らせ。


「最新出土品展」展示室前にー、

ありました、スタンプ台。

! いやいや スタンプを押す前に展示室を見なくちゃ。(大人ですからー)

中にはー

おお、「縄文」だ。な土器や 石器 骨角器。
(正確にはこれなどは縄目を転がした模様ではなく 隆起線文_紐状に伸ばした粘土をコードワーク的に貼ったものですけどね。)

現代アートを見る感覚で鑑賞しました。





さてスタンプを_、 ぺた。

おーっとっ オヂイサン、 上下あべこべですよ!

(↑念入りに 私の分まで二枚とも!!!)
良い子はマネしないでねー^^;)?

ともかく二つスタンプを押した台紙を受付に出すと、缶バッジがもらえました。(ありがとうございます。)

↑選べるデザインは8種類。

↑左は私が選んだもの、右が亭主が選んだもの、です。/ 大事にしましょう。


<おまけ>
他の展示室で見たものですがー

↓「国府津駅」の絵。馬車が置かれています。

明治21年(1888)、国府津~湯本間に 小田原馬車鉄道が敷かれたんですねー。

明治33年念(1900)に出版された鉄道唱歌が思い出されます_
 ♪國府津おるれば馬車ありて
  酒匂小田原とほからず
  箱根八里の山道も
  あれ見よ雲の間より

余談ながら 小田原馬車鉄道は明治33年(1900)電化され、鉄道唱歌の歌詞もその後「國府津おるれば電車あり」になった~ そうなー。(へー)


<もういっちょ>
さて、郷土文化館の展示物は 館内だけではありません。


建屋の前の木の根方に・・・
↓小さな木馬(いえメタル製ですが)がいます。

ブロ友さんに伺ったのですが これは城址公園内のこども遊園地のメリーゴーランドの一部なんですって!

そうと知ってみるか 知らずにみるかで 全く受ける印象 変わってきますよねー。

よくぞ今まで元気でいてくれた。どうぞこれからも長生きしてね。


その先にも見るべき物が_。

これも 知らないと ただのセメントの塊・・・。

でもこれ 東京は築地にあった「小田原橋」の「親柱」なんですって。

これについては 長い長い話になりますが~

昔、江戸の町には 日本橋に「本小田原町」、築地に「南小田原町」がありました。 そのそもそもは、 江戸へ舟で石を運んだ小田原の石工-善左衛門が石揚場として日本橋北詰の地を拝領して~・・・
濃い話なので 詳しくは市のPDFファイルをお読み頂きたく思います。↓
https://www.city.odawara.kanagawa.jp/global-image/units/136982/1-20130612181840.pdf
_という訳で 小田原と江戸の意外な繋がりを物語る 東京の小田原橋も 平成25年(2013)に撤去される事になり、親柱のうちの一本が ゆかりの地小田原に来た~ んですね。

親柱のそばには 早川の石丁場(石切り場)から運ばれたという切石。


説明板。

_なんとなく 小田原橋の由来に登場した 江戸へ舟で石を運んだ小田原の石工-善左衛門と関わりがありそうで、(ないかもですが) へー、 でした。


<その他>>>
館内に貼られていた きんじろう君の「新型コロナウイルス対策」あれこれ~。

(医師への相談も 電話やオンラインを使えば? って思っちゃった。/ ともあれ 自分も他人も大切にして 困難な時をのりきりたいものですね?)