

(↑松永記念館 入口)
(↓園内図の横に 催しの案内)


池の端からー

石段を上がると、

大きな欅(ケヤキ)の木が現れます。

奥の石段の上に建つ 松永安左エ門(ヤスザエモン)の旧宅-老欅荘(ロウキョソウ)の名の由来になった欅です。
その先の石段を上がるとー・・・


左手に老欅荘_


右手に無住庵が見えてきました。


(↑手前の石、何と記されているのでしょう? 二文字目は「室」だと思いますが・・・)
↓説明板。


↓リーフレット。


無住庵は、小田原に住した茶人 松永安左エ門(1875-1971、耳庵(ジアン)の号で知られています)が、昭和三十年(1955)に「埼玉の農園にあった築二百年の民家の一部」を用いて建てた、という田舎家。(素朴な風情を好まれてでしょう、元は所沢の旧邸にあったものを わざわざ小田原に移されています。尚 耳庵さんの小田原転居は昭和二十一年(1946)。) 以前は 住居としていた老欅荘(ロウキョソウ)の裏手の 蜜柑山近くにあったそうですが、令和2年(2020)老欅荘の向かい(現在地)に移築・復元されました。
これまで外から眺めた事しかない建屋ですが、今回は内部も拝見でき(それも 躙り口から入室!)、その上 お茶まで頂ける という有難い催し_ わくわくしながら参りましたよ?
↓受付の前に 少し外観を~。


↑南側。
↓西に躙り口。



↓北側。

↓東に戸口。

↓戸口の横に明り取りがありました。


↑明かりが欲しい時は 多分、板を跳ね上げてつっかい棒をするのだと思います。
屋根は 元々は茅葺だったそうですが、現在はそのデザインを残しつつー の銅葺。

↑棟の上に「天竹」が載っています。茅葺屋根時代の雰囲気、伝わってきますね。

↑裏はこんな感じ。銅と萱と木と竹の塩梅が面白い。又とても丁寧な造りで「美しい」です。
受付と 身支度のため、戸口から中へ。

_説明板によると「天井にかかる大梁(オオハリ)、緩い葦簀(ヨシズ)の化粧天井、長苆(ナガスサ)入りの土壁などに、素朴な田舎家の風情が表れています。」との事。/そのあたり よく拝見いたしましょう。
↓屋内は「田」の字の間取り。

↑板戸の向こうが水屋、
↓板戸の手前が土間です。

北側の明り取りは 雫(シズク)型の下地窓。

なるほどー 練りこんだ藁が「長い」。これが「長苆(ナガスサ)」ですね?
↓土間の南は板間。


↑障子の向こうが お茶室、になります。
ではそろそろ お茶室に向かいましょう。
(↓南の窓から ほんの少し中を・・・)

↓蹲(ツクバイ)には水が流されていました。

↓が柄杓(ヒシャク)はありませんでした。コロナの時代は 「柄杓なし」が標準 なのですね。

蹲の向かいの躙り口から中へ。


↓躙り口から茶室を覗いたところ_。


炉は(リーフレットに載る写真を見ますと) 元々は普通の正方形の物だったようですが 復元される際 (畳のサイズに合わせたのか)「長炉」に変更されています。(この日は板が渡され「正方形」のサイズで使われていました) 又 安全のため 火の使用が禁じられており、釜の下にはなんと「IHクッキングヒーター」が!(とはいえIHはパワフルな上 薄く、カセットコンロのような物よりは使い勝手がよい、との事でした。)
炉の上には自在鉤を吊る木製フック「大黒型自在掛」。

リーフレットに載る耳庵さんはこの炉に釜を置いて湯を沸かし ウィスキーのお湯割りを作ってらっしゃいます。
↓これは 水屋と茶室を隔てる源氏襖。

下に貼られているのは 和綴じ本でしょうか?(古い浄瑠璃本のような不思議な書体ですー)

↑これも 元々無住庵にあったもの、だそう。
絵はここまで。
さて、お茶のお席では_
まず鶴屋吉信の懐中汁粉が出されました。しかも器が 信玄弁当風の入れ子になったお椀で、半東さんから受け取って 蓋をとると、上の段には お干菓子(甘栗と 小粒の梅風味の豆菓子)が入っており、趣向は楽しく 頂いて美味しく~ でした。
(ただ、このような趣向のお席に連なるのは初めてで、運んで下さる半東(ハントウ)さんから どう受け取ってよいか分からず、 御正客さんのなさり様を真似てお盆を宙で受けました。
が、「なるほど こうするのですね?」とお正客さんに言いましたら、 御正客さんも「あら 私も(このようなスタイルは)初めてでー」とおっしゃるのでした。
もしかして 十分な広さがある場所だと 又違う作法になるの、かしら? / その後も お干菓子は二服目用に取っておきましょうか~ など、御正客さんにはたびたびの御助言を頂きました、有難い事でした。)
<+>
この日のお軸は 「清坐一味友 (セイザイチミノトモ)」、
お花は、 丸葉ルスカス 赤い弟切草の実 緑のスプレーギク_ 花入れは座りの良い 三角フラスコ型の備前焼でした。
そして棗は 御亭主が「強羅の土産物屋で見つけました」という寄せ木細工のもの、 お茶杓は これも「鎌倉の今はもう閉店なさった~で」という 煤竹の細身で風情あるもの、でした。お道具との出会いというのは どこ にあるかわからない 面白いものですね。
_本当は 一番にお茶碗の事を書かねばならないのですがー スミマセンnumabeは焼き物に対して知識が無く「主茶碗は 個性的でどこか異国の民芸品のような可愛らしい雰囲気のお茶碗でした」位の事しか・・・^^;)
60過ぎて_ 勉強しないといけない事が 増えていきます。
お仕舞の挨拶に 御正客さんが(御亭主さんに)「二日続けてのお席、お大変でございましょう どうぞお膝をおいとい下さい」とおっしゃいました。 これはもしかしたら お茶をなさる方の間では一種「定型」のような文言なのかもしれませんが 私は (自分が ほんの一服二服の間の正座で足がしびれておりましたので・・・) ハ っとしました。 本当だ、御亭主さんは前日から御釜をかけてらっしゃる!私達は午前の御席に行かせて頂きましたが 御亭主さんには この後も・・・。 (私の頭の中では大変な「苦行」)))/ お茶をなさる方に対する尊敬の度合い、増しました。
__ともあれ 短いけれど 御亭主さんはじめ皆さんのおかげで豊かな時間を持たせていただけました。(私の大人度も少し上がったかしら?)
ありがとうございました。
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さてこの日、

(↑池の端まで戻って参りました。)
松永記念館では

「中里遺跡」についての特別展がかかっていたので、

覗いてみました。

つづく_