
(対向車が来たら「きゃー」と言ってしまいそうな細い道でした)))

↓説明版。

「この溜池は、上水之尾用水の源である。この地に溜池を設け 山腹をぬって水を引き、高台の上水之尾に水田を開いたのは、享和年間の事で、大久保藩の藩費によって行われたと伝えられている。
享和は元年(1801年)から四年までの短い期間であった。今(H1年)から180年余り前の事である。享和2年(1802年)は荻窪用水が完成して、それまで水に乏しかった荻窪村が一変した年である。この、うなぎ沢の水も利用していた荻窪村に見ずの余裕が生じたので、上水之尾に水田を開くことが可能になったのであろう。うなぎ沢上流のここ二股窪に貯水池を設け、上水之尾地区に2ヘクタールたらずの水田を開き、十数戸の農家を支えることが出来た、なお、この付近一帯は、昔、大久保藩の直轄地で、威張山(イハリヤマ)と呼ばれ狩などによって藩士が武を練った所といわれている。藩主の休息にあてられた小屋があったのでこの付近の地名を御小屋(オコヤ)という、これより東方300メートルにある樹齢200年(推定)をこえる二本の杉の大木は、御小屋の二本杉と呼ばれている。
平成元年、小田原市によって溜池が修復され同時に、辻村植物公園に分水して、流れや池を設ける工事が行われた。
平成元年三月吉日 上水之尾自治会」
(↑色々「へぇ~っ」な内容ですねー)
さて、小田原の江戸時代~ だけでなく ごく最近の公園の整備にも関わり役立っている というこの溜池ですが、
ハイカー的には 「まるで貸し切りのような 静かな池の端」も魅力的でしたよ。丁度 紅葉も綺麗でー。








↑池に突き出した 桟橋のような物ー。
↓近づいてみると 特に規制などはされていないようだったので 歩いてみました。


改めて_鏡の様な水面。
鴨も動かない・・・。


しばし_
ですが 不思議な時間、を過ごしました。/ おしまい。