_の 途中、お稲荷さんの前を通りました。

住宅街の中に ぽつ っと一点 森の名残りを留めたような雰囲気。

説明板「笠守稲荷神社縁起」

「当笠守稲荷神社は、元小田原寺町(現中町)に天正八年創立の花葉山一乗院龍雲寺と云う寺にあり、その境内に安置されてあった。伝える処によると、木曽義仲の夫人巴御前(栢山 善栄寺に墳墓あり)が偶々(タマタマ)この街道を通りかかりし時、計らずも悪者に襲われ一命に関する折、一匹の白狐現れ身を菅笠に変じて危難を救い無事過ぎ行く事が出来たる由(ヨシ)、その縁をもって人々同地に祠を造り笠守稲荷として崇め多くの人々から敬信され年月を経てきましたが、その後 故(ユエ)あって龍雲寺が本寺である誓願寺に合併され廃寺になっておりました処 明治十六年 足柄上郡沼田西念寺の松蔭宣龍上人の発願により現在の地に新寺建立を志し有縁の信徒により新寺建立寺名を改めて 華葉山、龍雲院善光寺と称してその折、祠を寺門に移し鎮守として護って来ました。その後新道も開けて商店街も発展し、偶々有志の人々と協議し町内の鎮守として永く祀らんと現在地に移し、篤信者の援護により堂宇完成 人々の参詣後を絶たず当時近くに遊郭新開地有り婦人等の敬信殊に厚く何時しか笠守が変じて瘡(カサ)守と呼ばれる様になりましたが、幾星霜 時代も変わりましたので 其の後旧名に改め笠守稲荷として人々の篤き信仰の表徴として永く加護されるようになりました」 / ふむふむー
ご挨拶いたしましょう。

↓あら、虹梁の上の彫り物 面白い。(「まって~」「あはは~」「うふふ~」_カップルの狐さん達の笑い声が聞こえてきそうー)

↓鈴の向こうに扁額。

ぱち ぱち 拝。
鳥居の横に旧町名標。
「手代町(テダイチョウ)」


「町名の由来は この地内の北西角に手代(テダイ)が住んでいたためといわれる。 ここでいう手代は商家の者ではなく、奉公や代官の配下藩士たちのことである。」_だそうです。
へー。
さて、この日は もう一つ発見した事がー。

↑今までも 時々使わせてもらっていた細い路地。(銀座通りと国際通りを結んでいるので 結構「知ってるとお得ー」な道。)
↓_なんですが ここには「オランダ小路」という名称があったんですねー! (仮称、との事ですが どこからオランダなのかしら? もしかして「石畳→オランダ坂」?)

↑「この道は、私達が生れる前から存在する古い道です。 歴史のある小田原で嘗てより生活道路として利用されている「みんなの道路」です。近い将来、石畳の情緒ある道にする計画をしております。皆が安心して通れる良い道路になるようご協力をお願いします。/ 道路所有者より」 (私有地だったんですね、生活道路として誰でも通れる道 にして下さってたんだ。感謝しながら通らなくては。)
又 小田原に「1」詳しくなっちゃった^^)