四海作瓜生海軍大将像と瓜生坂(+対潮閣跡) | おだわらぐらし

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縁あって暮らす事になった相模の国 小田原
一杯見て 一杯歩いて 一杯味わいたいと思います

すみませんすみません、
9日にUpした「天神山の天満宮(山角天神)」の内容に誤りが―。

↑瓜生坂(ウリュウザカ)を天神社の西に隣接する坂、と打ちましたが、 その後 カナロコ(←神奈川新聞Web版)の「面影消す「瓜生坂」、宅地開発で道路拡幅、往時の石垣撤去へ/小田原(2012/12/28)」を見たら 瓜生坂として紹介されている写真の右側に鳥居が写ってなかったので 確認すべく もう一度天神さんまで行ったんです。

そしたら
瓜生坂は・・・

(↓鳥居の左の説明板を拡大しますー)



↑清閑亭の方へ上がる道ではなく 左へ70m直進するように矢印が書かれています。

_という訳で 天神山の下を走る道を 少し西へ進むとー

別の坂道が現れました。

ああ、ここ、ですね? / カナロコに載る写真とは異なり 左側の石垣ではなくブロックになっているけれどー

右側の石垣は そのまま、です。


(もっとも、瓜生坂が整えられた時に築かれた石垣、は 左側の物だった、模様ー)

お詫びと訂正を_。


えーさてもう一点。
今度はお詫びと訂正ではなく 追記をさせて頂きます。

石段の途中にあるー

瓜生外吉海軍大将(1857-1937)の胸像の作者についてです。

実は 像のどこかに 作者が自ら名を記しているんだそうで_。(Twitterで知りました)

あ、ここだ。(像の左側面)

↑大正六年(1917)の下_ 〇の中に「海 四」の文字。(落款に似せている、んでしょうね?)/ 作者は北村四海(シカイ 1871- 1927)という 渡仏経験もある彫刻家、だそう。
↓設置された年月日が台の側面に。(昭和14年(1939/瓜生さんが亡くなった二年後)5月27日)

↓バックには「小田原町第十六区民 山角町青年誠友会員 建設」の文字。

小田原を愛し 小田原の人から愛された海軍大将の胸像が小田原にある事に なるほど 。です。が ・・・なぜ 設置場所が山角天神の斜面地なのでしょう? 御存知の方いらっしゃったら教えて下さいませ。

↓像の横には「坂に名を残した人・瓜生外吉(海軍大将
・男爵)」と題された文章(小田原文学館館長 三津木國輝氏が記されたもの)が貼られていました。

(文中に 瓜生氏の別邸があったのは「十字1丁目180番地・現南町1丁目8番」とあります。

(↑赤い線で囲まれたところが南町1-8)
この地番からも 瓜生坂が天神社に隣接した坂ではない、事が確認されます_。)



<おまけ> 
石段を上った先_

二週間前には咲いていなかった 八重桜が満開でした。




<おまけ2>
天神社の少し東に_
「対潮閣(山下亀三郎別邸)跡」(秋山真之終焉の地)という説明板がありました。

(随分前の事ですが、 『坂の上の雲』が 真之役モッくんでドラマ化され大変な人気になってー、「『真之さんが亡くなったのはどこですか?』って尋ねる人が増えた」と 観光案内のガイドさんが言ってました。/ 多分 この案内板設置には 『坂の上の雲』が小さくない役割を~・・・)

ともあれ、山下邸というのは 大きなお屋敷だったんですねー。

かつての敷地内に今は・・・何軒ものお家が建っていますよー。

昔の小田原は 今とは随分様子が違ったようです。/ 興味深いー。