長興山紹太寺(ショウタイジ)旧伽藍あたり | (又)おだわらぐらし はじめました

(又)おだわらぐらし はじめました

 背広を脱いだ夫と 結婚以来ずっと専業主婦の私との
「新しい日常」を綴って参ります

枝垂桜鑑賞の後は_


紹太寺の旧伽藍を回って 階段から山を下りましょう。

(二つ前の項にも書いた事ですが、元々の紹太寺はこの山の上にあった~のですって。現在の紹太寺はその子院でしたが 本院が焼失したため 法灯を受け継いだー そうです。)
↓枝垂桜の少し上で 早川の支流_宮沢川を渡ります。



道なりに行くと_

山側に 開山者 鉄牛和尚の「寿塔」が現れます。


↓この寿塔の説明板。

(尚 寿塔というのは生前に立てられる塔婆、だそう)
更に道なりに進むと_


ぽん、と開けた場所に出ます。

ミカンや梅の木がぽつぽつとある畑地ですがー

ここが 紹太寺の伽藍跡、との事。

そして (現)紹太寺からの参道の先 一番奥の石段の上にー

藩主だった稲葉家の墓所があります。(春日局はお寺の建立前に亡くなっていますが 稲葉家の繁栄は春日局のおかげであると 孫・稲葉正則がここに供養塔を建てています。)

(手前の石段の上には_ かつては御魂屋があったようです。その先の石段の上には 今も墓石が並んでいます。)
↑さて 墓所への石段の手前に二つ石が並んでいますがー
↓右の石には瓔珞櫻(ヨウラクオウ)と彫られています。

瓔珞とは 菩薩様が身におつけの装身具。又意匠として用いられる お寺の本堂の天井から下がるきらきらしい飾り の事。そして瓔珞桜は「枝垂桜」の別名、とか。/ さて この刻銘石は 城主一族の墓所がここに整えられた際に枝垂桜が植えられた事を意味している~。 のですが それにしては 随分離れているようなー・・・。(もしかして この石の近くにも 枝垂桜が植えられていた???)
↓石段の左にも 刻銘石がありますよ?

こちらには「昆弟槇(コンテイマキ)」(昆=兄)と彫られています。 説明板には「兄弟のように二本の幹を持ったイヌマキが この辺にあったことがわかります。」と記されています。

さて、今では畑地としか見えない 紹太寺跡地 ですがー

参道を下りていくと・・・

石柱、

放生池(ホウショウチ)跡などが見られ、

確かにここにお寺があったのだ、と 思わせてくれます。


(↑来し方を振り向いたところー)

さて ここからは (ひたすらに) 石段を下りていきますよ?


(↓参道脇に「石地蔵跡」という札。/ かつてここにあったというお地蔵様は 今は箱根湯本の正眼寺(ショウゲンジ)にある とのことー。へー。)

尚行きますー


車道を越えて まだ行きますー


ふー やっと下り切ったよ。


では お寺で普茶料理(フチャリョウリ)を頂きましょう。

(↑前回伺った金曜日は出てなかったけれど この日_月曜日は 松花堂弁当 + 喫茶の案内の看板が置かれてました。/ 前日の日曜日で緊急事態宣言が解かれたから、 かしら?)

つづく