海蔵寺(臨済宗)と十六井(ジュウロクノイ) | (又)おだわらぐらし はじめました

(又)おだわらぐらし はじめました

 背広を脱いだ夫と 結婚以来ずっと専業主婦の私との
「新しい日常」を綴って参ります

では
岩船地蔵堂前から 海蔵寺の方へ行ってみましょう。

(↓地蔵堂前のMAP)

(↑右下が北、です)


横須賀線の下を潜って 道なりにー。


左手にやぐら。

(中はカラッポでしたが、 住宅地の中に ぽか っとこんな遺構が現れるって 鎌倉、「不思議~」。)

道の先に石段が見えてきました。



左手にお寺の駐車場。

もしかして あれ、もやぐらかなー? と思ったのだけど 中は確認していません。


ん? 正面の石段、の右にも 石段?


近づいて気づきましたが 道の右に 井戸。


底脱の井(ソコヌケノイ)、ですって。

底が無い井戸?何やら恐ろし気・・・ と思ったら、あら抜けたのは「桶の底」でしたか。

お寺の横を通る道も 先に崖を削ったような場所があり 面白そうでしたがー



今回はお寺へお参りいたしましょう。

(という訳で 二つ見えた内の 右 の石段を上っております。)

風流な門を潜って 境内へー。

正面に鐘。

シオンの向こうー

山門から続く道の先に本堂(右)と 仏殿(左)。

本堂右手に庫裡。

手前の赤い傘の下に リーフレットが。

あら、てっきり「拝観料」として かと思ったら「十六井」の見学料として 100円、ですか。

十六井 は後で拝見する事にして_
 まずは境内を回らせて頂きましょう。


仏殿。

こちらは_ 1776年に浄智寺から移築し 薬師三尊・十二神将像・伽藍神像を安置する 薬師堂、だそう。

本堂。「龍護殿」。



以前の建屋は1923年の震災で倒壊したそうで、今建つのは二年後に再建されたお堂、と言いますが 正面の板絵 欄間など 古色を帯びて見えました。/リーフレットによると 「内殿欄間の雲龍彫は文化9年(1812)、額は延宝年(1681)霊芝の筆。間切り土の雲龍・山水の絵は狩野探信び筆になり、正面四枚戸の牡丹唐獅子の絵は藤原義信の筆。」との事。

裏へ回ってみます。

複数のやぐらが現れた。


内部には 鳥居があったり供養塔があったり・・・

石仏がいらっしゃったり・・・。


(↑ああ、いいお顔・・・)
本堂の北のお庭も見えました。


(↑雑草引き をなさるご婦人方が通られた・・・)


まるで 別天地 のようでしたー。

引き返してー


萱葺屋根の味わい深い庫裡を見る。



では仏殿の脇を通って「十六井」へ行ってみましょう。

お、ここが 十六井?

いや まだ先なのか・・・。

分かれ道。

え? こっち?

どきどき・・・

(なんだか 異世界にいざなわれているような気分になってきましたよ・・・)

が、- ここ 境内じゃなく 普通の住宅地なんじゃないかしら?
_と思い始めたら 「ここ!」だった。

ここが、 十六井・・・。


中は真っ暗で オートでストロボが光った^^;)

なるほど、十六 井 がありますよ。

リーフレット、によると_
「境内の南の隅の岩窟中にある鎌倉時代の井戸。窟の中央に石造の観音菩薩をまつり、その下方に弘法大師像を安置する。井戸の名は窟底に径70cm 深40~50cmくらいの井十六穴がおのおの清冽な水をたたえているのにちなむ。
 (中略)
一部の歴史家には墓所と称する説もあるが、湧水地と十六という数字 (十六は菩薩の数)を思えば、墓所とは考えられない。
なお、扉右壁に黄檗宗万福寺木庵禅師の偈(仏の教えをたえる韻文)がある。」

へえ~っ(感嘆)

ありがとうございました。/ 退出します。

帰り・・・



道を間違えて 私道を歩いてしまいました。

(実はこの道は 住民以外通れない道 だったんですねー。/ 振り返って そうと記された札に気づきましたが 遅かった。/すみません)


という訳で 境内に戻らず おいとまする事に_。

帰りしな、参道脇でみつけた お寺の説明板。。。

やはり 神社やお寺は 正門から正規ルートでお参りしませんとね・・・。(反省)


_ともあれ、
素晴らしいお寺でした。お訪ねして 本当に良かった。 / おしまい。