御霊神社(通称・権五郎(ゴンゴロウ)神社) | (又)おだわらぐらし はじめました

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 背広を脱いだ夫と 結婚以来ずっと専業主婦の私との
「新しい日常」を綴って参ります

長谷寺から極楽寺へ向かう途中_

御霊神社という神社への案内板があったので、寄ってみる事に。
↓今度は「鎌倉権五郎神社」への道標が現れた・・・。

道なりに行くと 神社の境内に導かれたのですが ・・・ ここは 何神社 なんでしょう?


石段を上がる。

幕に矢羽が描かれています。

「鎌倉権五郎神社」ですって。



拝殿近くにあった 松 の名残り(?)と立札。

↓「景正公 弓立の松 / 鎌倉権五郎景正公は 平安時代後期に鎌倉・湘南地域を開拓した開発領主である。/公が、ご領地を見まわる際に弓を立てかけられたと伝わる松の古木」。

へーっ。景正公というのは 鎌倉権五郎景正で 社名の権五郎はこの方からきてるんですね? 祭神も景正公、なんでしょうか?幕に矢羽根が染められていたし 弓の名手だった とかかなー? (『奥州後三年記』には 後三年の役で 景正が、「右目を射られながらも奮闘した逸話」が載るそうな。)

境内東側に 小社群。

手玉石に袂石、 右に祖霊社。

左:金刀比羅社(コトヒラシャ) 右:石上神社。

(こちらの石上神社には、 神社前の浜にありたびたび舟を座礁させていた岩礁の一部 がご神体として祀られているそうです。「海上安全・豊漁の守護神」とされ 例祭もあるそうな。)
↓御岳社。


あ、警報機が鳴り遮断機が下りた。

神社のすぐ前を線路が走ってたんですね!(来る時通ってるハズだのに気づかなかった)

あのオニーサン 思う写真が撮れたのかしらね?


_と ここで 説明板を発見(?)。

そうか 御霊神社=権五郎神社 だったんだ! (御霊神社のWiki頁によると 「関東平氏五家の始祖、すなわち鎌倉氏・梶原氏・村岡氏・長尾氏・大庭氏の5氏の霊を祀った神社であったとされ、五霊から転じて御霊神社と通称されるようになった」 んだとか。なるほどー)
で権五郎さんは後三年の役に16歳で出陣して勇名をはせ 後には領主としてこの地域を開発~。地元の英雄なんですね?

やはり神社は 表からお参りすべきですねー。

ありがとうございました。


さて神社前の参道を南へ歩くとー
↓「力餅家」なる 味わい深いお菓子屋さんがありました。

「力餅」は 権五郎神社の祭神 権五郎さんに因むお餅だそうで (境内の「権五郎手玉石」を持ち上げる力試し が行われる日に振舞われたのが始まり~とか)  折角なので買ってみたかったのですがー 賞味期限は「当日限り」だそうで 旅の途中の身・・・。購入は断念しました。。。

↓あ、お店の脇の石柱に「五霊社」って彫られている。

尚、「五霊」は「御霊」の古い形、だそう。↓
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A1%E9%9C%8A%E7%A5%9E%E7%A4%BE_(%E9%8E%8C%E5%80%89%E5%B8%82)
↑「由緒書」に 「もとは坂東平氏鎌倉党の五家、鎌倉氏・梶原氏・村岡氏・長尾氏・大庭氏の5氏の霊を祀った神社であったとされ、五霊から転じて御霊神社と通称されるように」と_。


この後は 極楽寺坂を上りました。/ つづく