露座の大仏は阿弥陀様だった | (又)おだわらぐらし はじめました

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 背広を脱いだ夫と 結婚以来ずっと専業主婦の私との
「新しい日常」を綴って参ります

久しぶりの鎌倉散策_ 「懐かしい場所」としてお訪ねした 大仏で有名な「高徳院」ですが、 今回私は初めてこちらが浄土宗のお寺と知ってびっくりしました^^;) すると露座の大仏はお釈迦様ではなく・・・阿弥陀様? / 60過ぎて お恥ずかしや。。。

仁王門を潜る。

手水舎の水は止められていました・・・。(でもアルコール消毒はしましたよ)

境内図。

拝観券。

(↑寺紋は 源氏の「笹竜胆(ササリンドウ)」/ 笹竜胆は鎌倉市の「市紋」にもなっており マンホールの蓋など 色んなところで見られました。)

国宝!鎌倉大佛。



由来。/ 発起人は頼朝の侍女とか。1238年に着工し6年かけて完成した_そうですが 当時は「木造」のお像だったようです。1292年に青銅のお像が作られ お納めするお堂もできますが 1334( 建武元) 年および1369( 応安二) 年の大風と1498( 明応七) 年の大地震によって損壊し 以来大仏は「露座の大仏」となったー のですって。

内部、入れず。(これもコロナのせい・・・)))

背中の・・・「窓」(って言う?)

(前回は入らせて頂きましたよ。 とても仏像の内部とは思えない場所でしたが 「人によって作られたのだ」と感じる事は他の仏像にはあまり抱かない感情ですから それはそれで貴重な体験ができた、と思います。)

「かまくらや みほとけなれど 釈迦牟尼は 美男におわす 夏木立かな _与謝野晶子」 (本当は阿弥陀如来だったんだ・・・とそれはともかく_)))

本当に 良いお顔、です。

南無阿弥陀仏。


裏手の観月堂へ向かいます。

(手前にいらした やわらかいお顔のお地蔵様)

軒瓦、格子のデザイン、大陸風ですねー。





↑へー 「丹青に彩られたこの建物は、もとはソウルの朝鮮王宮にあったもので、1924年に杉野喜精(キセイ)氏によって当山へ寄贈されました。/鎌倉三十三観音霊場23番札所ともなっている当山では、今日、この建物のなかに江戸後期の作品とみられる木造の観音菩薩立像を安置しています。」ですって。(大陸風、と思ったら 大陸渡りの建屋でしたかー! 納得。)

(↑ お堂手前の石灯籠に彫られた絵は非洗練さが逆に目をひきますが ちょっと面白く思いましたよ。)

ありがとうございました。(知らなかった事が一杯でしたよー)


退出後は 参道で「大仏さんまんじゅう」を買いました。



もったいなやー と思いながら ぱく っと頂きました^^;)

続いては観音様を拝みにー

長谷寺へ。