では修学院離宮へ向かいましょう。
↑鷺森神社の北の道の もひとつ北の道の辻。/ ここを左_北へ上がると~
↓音羽川に架かる後安堂(ゴアンドウ)橋前に出ました。(後安堂は地名ですが 由来となるお堂があった、のかなあ? / 修学院も離宮ができた時点ですでに地名でしたが 昔はこの名のお寺があった、といいますしー)
↓橋から見た 川上側。
↓川下側。
で、川を渡った先の右手一帯が 離宮 なのでした。
フェンスの内側は 普通の農地と見えるのですがー・・・
景観維持のために宮内庁が買い上げ 契約農家に耕作してもらっている場所、なんですってー。(後で知った事ですが)
離宮の向かいも 石を積んだ塀が続いていて 「いいかんじ」でした。
鐘楼門を持つこちらはー
禅華院(ゼンケイン)。(山号は「解脱山」)
臨済宗大徳寺派のお寺だそうです。
離宮の門まで来ました。
まだ受付は始まっていないもよう。
もうちょっとブラブラしてようか。
↓ここが離宮の端っこかな?(左隣は民家のようでしたから)
しかし 境の道はこの先であっさり・・・
行き止まり、になってました。
(この先は修学院の農地なので 作業用の車を入れる道とか、かな?)
_引き返したらー
受付が始まりました。
「参観者休憩所」へ。
ここでガイドさんを待ちます。
受付でもらったリーフレット。
見学順路。
(離宮は 大きく「上、中、下」三つのエリアに分かれてるんですね?)
↓休憩所室内に掛かっていた絵図。
ビデオで大まかなルートの説明と 見所の紹介がありー
その後 到着したガイドさんと一緒に見学に出発、しました。
まず「下離宮」から。(って入口があるのが下離宮なんですが)
「御幸門」を潜ります。(花菱の透かし彫りは 離宮を造られた後水尾上皇のお好み、とか)
更に竹の垣の向こうへ。
竹垣の潜り戸を抜けると 左手、石段の上に下離宮の中心的建屋「寿月観(ジュゲツカン)」が見えました。 (造営当所は「彎曲(ワンキョク)閣」という大きな建屋があったといいますが 早い時期に失われたー そうな)
見学者は別の階段から寿月観前へ上がります。
しっとりとして苔の庭は 緩やかに傾斜していて 静かに水が流れていました。
庭に点々と配された灯篭は どれも個性的ー。
(↑これなんてかなり「どーよ」ですよね?)
階段を上ると寿月観の室内が鑑賞できるようになっていました。
(↓扁額の文字は後水尾上皇のご宸筆)
↓書院は W床の間というユニークな造り。違い棚も違っていない(?どう言っていいかわからない^^;)
(襖絵は「虎渓三笑」。/隠棲して「二度と(俗世に通じる)虎渓(に架かる橋)は渡らない」と誓っていた僧が 友人(内一人は詩人の陶淵明)との話に夢中になり うっかり橋を渡ってしまって 皆で大笑いした~」という 知的かつユーモラスな場面が描かれており 上皇の離宮に相応しい絵だが、(残念な事に)描かれたのは後水尾上皇の没後、とか。)
(↑欄間に 上皇お好みの「花菱」)
↓二の間。杉戸の絵は「夕顔」。
柴垣を抜けて 次のエリアに向かいます。
東門(~の横の戸口)を出ると そこには~
つづく。