赤穂大石神社 | おだわらぐらし

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赤穂大石神社へ行ってみます。/ 江戸時代には表立って顕彰する事ができなかった赤穂義士ですが(刃傷事件のすぐ後 お城には永井家が入ってますし) 人々は大石家の屋敷跡に小さな祠を建てて密かに祀っていたといいます。が明治33年に なると「大石神社」の建立が政府に認められます。 更に、戦後になるとここに、 城内の神社に祀られていた浅野家三代の霊 + 城外の「赤穂神社」に祀られていた森家の霊 が合祀されて 「赤穂大石神社」となった、 そうです。/  尚 神社が建つ場所は 旧大石邸跡地ですって。

参道右手には(討ち入りの際の)表門部隊、

向かい 左側には裏門部隊の義士像が並びます。

一体一体に名前が記されています。

↑右)大石瀬左衛門信清(大石家の分家) / 尚バックは↓大石瀬左衛門邸跡とか。


内蔵助像。

(あ、主税撮り忘れてる・・・、たしかお父さんの向かいが息子の主税だったように思うのですが)))

↓義芳門。

門扉の紋は 花岳寺と同じく 左が大石家の「巴」、右が浅野家の「譜入り違い鷹の羽」

↓門の説明板。(門の名の由来は「義士の忠芬義芳を千歳までも」から、とか)


神社の案内板。


境内右手に手水舎、その横には絵馬掛けがありました。

水盤。

絵馬掛けには色んな絵馬が。(願い事によって求める絵馬が違う、みたいですね?)



絵馬掛けの奥には 不思議な形の石が_。

説明板。

(↑大阪は中之島の浅野家蔵屋敷にあった舟石、ですって。)
その横には「義士発祥の地」と刻まれた石と 「心響石」と名付けられたサヌカイトが。


(↑石は実際に叩いてみる事ができました。)

その手前のブロンズ像。



江戸からの凶報を受け お城へ向かう大石内蔵助の姿、だそう。 

拝殿の方へ。



ご挨拶。

拝殿奥 玉垣の内に神殿。


(↑神殿の下には小石がー。どんな意味があるのかな?)

垣には忠臣蔵の様々なエピソードが絵とともに紹介されていました。


↑「一力茶屋」の場面。/ ただし「一力(イチリキ)」は仮名手本忠臣蔵に登場する 「架空の茶屋」。祇園花見小路のお茶屋は 当時は「万屋(ヨロズヤ)」と言ったそうなー。 明治以降は お芝居で有名になった一力、使っておられますが、それでも暖簾の文字は「万」ですよね。

末社。


(右から 国助稲荷社、淡嶋社、恵美寿宮、天満宮、山鹿社、八田社、忠魂社)

境内の西に義士宝物殿。

内蔵助が所有していた刀等が展示されている といいます。


退出して_

神社に隣接する (神社境内東北にあたる)

大石家の門も見てみました。

説明板。


大手門の方へ行ってみましょう。(大石家は 大手門のすぐ内に屋敷があった、 んですね?)

道なりに進むと、高い土塁が目の前に。

ここは門の近くなんですね。 桝形に沿って ぐるりー と回らないと 濠を渡れません。


(↑塀の向こうに赤穂大石神社の拝殿)


↑隅櫓が現れました。
↓かつてはここ(石垣と石垣の間)に防御のための門(大抵の場合「櫓門」)があった はず。

↓航空写真で見ると こんな感じ。


↓桝形の向こうに やっと橋が見えてきました。

ここが お城の大手門。


濠の外から見た 大手門。(現在あるのは昭和30年に作られた高麗門)

赤穂城は 濠や石垣を見るだけでも「なかなか~」でしたよ?



この先は 項を改めましてー。 / つづく