
(↑左下が北の地図)
↓「赤穂上水道 城内への排水」というパネル。

(↑左上が北の地図。 北、は揃えてほしいなあ)
赤穂城は 昔は海辺に建つお城でしたが、今は海岸が南へ遠ざかり 普通の「陸のお城」になっております。/ が ともかくそういう訳で 井戸を掘っても真水が出ないエリアなので 飲み水は外から引く必要があった、のですって。
↓今、お城の大手門を出た、ところです。

外堀に沿って 北、へ。

↓復元された北東の隅櫓(スミヤグラ)。

↓北の隅櫓(が載っていたであろう)台からは 南へ歩きます。(今立つ場所は 多分お堀の上、ですね?)

↓孕み出し防止の為なのか 石垣の途中に不思議な張り出しがありました。

↓尚行ったところに_塩屋門跡。ここは赤穂城の搦手(カラメテ=裏)門として造られたといいます。

城内へ入ります。(車も通れる道です)

左手に雁木(その向こうは濠だった、はず)

良寛の歌碑。「山おろしよ いたくなふきそ しろたえの ころもかたしき たびねせし夜は」だそう。(良寛さんは旅するお坊様でもあったんですねー)

門の説明板。

(写真)

城の説明。

(↑下が北の地図)
今は広いフィールドのようになってますが ここは旧武家屋敷。
奥に「赤穂大石神社」。(筆頭家老大石邸跡地)

手前は「間瀬家住宅」


間瀬家の向かいは「大野家住宅」。


大野家の東隣は「磯貝家」。

↓前の項でも打ちましたが 神社の西隣は 大石家の分家、でしたよね。

と、こんな感じで どなたの屋敷跡か一軒一軒わかってる、んですねー? すごいな。
櫓台付の石垣が見えてきた。(石垣の内は二の丸。 この外堀は「二の丸外堀」と呼ばれる濠だそうです)

一旦途切れて_ こっちも「二の丸外堀」。

(↑舟をつけて荷揚げとかしてた っぽい造りですね?)
で、ここには「二の丸門」があった のですって。

さて、二の丸外堀の向こうに見える蔵っぽい建屋はー、

赤穂の歴史博物館なのでしたー。

お城の事 江戸時代の上水道の事 赤穂義士の物語について など 色々学べたのだけど 撮影禁止だったので 絵 はここまで。

(本当は 歴史博物館は前日_火曜のうちに 見学しております。なぜなら当日_水曜は休館日だったのでね)
では引き返してー

(↑東の外堀です)
さっき通った二の丸門の方へ。

↓二の丸外堀、の始まり。(手前が外堀。ジグザグに奥へ向かうのが 二の丸外堀。)/ 水に張り出してる台は「二の丸東北隅櫓」の台、で あの台から対岸の間には 敵の侵入を防ぐための柵 が設置されていたそうです。

尚、ここにはかつて「清水門(or 川口門)」と呼ばれる門があったそうです。(名の由来は多分 この付近から熊見川(現・千種川)の水を濠に引き込んでいたからでしょうね?)
元禄14年、幕府に城を明け渡した内蔵助が 名残りを惜しみつつ退去したのが この門だった、とか。

長くなったので 続きは 項を変えましてー。