
(↑車は 宿の駐車場から 観光客用無料駐車場へ移動ー)
まず行ったのは 伊和都比売神社(イワツヒメジンジャ)。

(↑車は神社にも停める事ができました)

由緒書

かつては「御崎明神」と呼ばれていた式内社。
祭神は伊和都比売大神。(この神は播磨国一宮の伊和大神(=大穴牟遅神)の比売神の事とも。 又元々の祭神は伊勢外宮の豊受比売であった、とも。)
創建は不明だが 以前の社は 現社地の南の海上の「八丁岩」の上にあったとされる。天和(テンナ)三年(1683年) 赤穂藩藩主・浅野長直が社を建立しお移し申し上げた。
東郷平八郎をはじめ 歴代連合艦隊司令長官が参拝した。航海安全の他、縁結びにご利益があるとされる。_ そうです。
ではお参りいたしましょう。

左手に手水舎。

右手には古い手水鉢。


江戸城松の廊下で刃傷(ニンジョウ)事件があった元禄14年(1701年)、に氏子から寄進されたもの だそうです。/ 説明板には「当時の時節を考えるに、藩民が藩の平穏と安泰を祈念し神のご加護を乞うたものと思われる」とありました。 (藩主が切腹させられると 藩取り潰しの噂が流れ 商人達が札座に押し寄せた~ といいます・・・)))
拝殿。

唐破風の彫り物。(神紋は三つ巴ですね)

狛犬。(足に願掛けの紐が)


後ろ姿_ 「うずまき」が印象的。

(ありゃー「吽型」の顔 撮り忘れてるー)))
裏へ回ってみます。

拝殿の背後に 別建ての神殿がありました。





(千木は「女千木」ですね?)
末社。金比羅さんと 恵比須さん。

その裏手には 石材(?)が積まれていました。玉垣や石灯籠だった物 に混じって供養塔の先のような物も見えました。

(神仏混交時代の名残りなのか 他から運ばれて来たものか・・・)
ありがとうございました。/退出しましょう。


鳥居の正面の岩の上に小さな灯台。あそこが旧社地「八丁岩」かな?(八丁が距離だとすると約872mだ。面積だったら訳8ha・・・)

チェーンの向こうは ほぼ「崖」でしたが 石段が作られていました。

(海辺まで下りられるようですね?)
↓ズームで見たミニ灯台_というか旧社地。(奥は小豆島)

↓左手には 小島が点々と・・・。

振り返って見た神社境内。

本来はこちらからお参りするべきだったのだろうなあ。

↓鳥居の扁額。

神社前の道は この先の海水浴場まで続いているようです。行ってみましょう。

つづく。