
(↑阪急 上桂駅)
本当は洛西用水の円形分水を見るのが目的でしたが、地図を見たら 駅の近くに「上桂・御霊神社」という神社があるとわかったので まず そちらへ。
駅前の道を東へてくてく歩いて行くと_
↓玉垣に囲まれた小さな杜(モリ)がありました。ここですね?

↓多分今見ているのは社の後ろ姿、、、。

↓入口は反対側(東)という事だからー・・・。

(↑垣に沿って東へ歩いていくと 「元神木?」な古木が見えました)
東を向いて立つ赤い鳥居があった。ここからお訪ねしましょう。

扁額の文字は「御霊神社」とのみ。

由緒書。

「祭神 太田神(=猿田彦) 伊豫(イヨ)親王。(←讒言により無実の罪を着せられ 母と共に自害。後に神祀りされた方)
往古 山城国(ヤマシロノクニ)葛野郡(カドノコオリ)上桂村を開拓した人々が太田神を祀って五穀の豊穣を祈ったのが当社の起源である。 平安時代に御霊信仰が起こり 室町時代には疫病除けの神徳により各地に祭神を勧請するに至って 当社もまた伊豫親王を合祀し 御霊神社と称するに至ったものと 思われる。
古来 上桂の鎮守神として村民の崇敬篤く 文亀二年(1502年)には七百余坪の社地の中 三畝(←90坪≒300平米弱)の御供田も所有していた事が 古文書で知られる。 明治6年村社に列し 戦前には三大祭に京都市から幣帛供進使(ヘイハクキョウシンシ)が参向していた。 (中略)
北宮祭神 火雷神(ホノイカヅチノカミ=愛宕神・防火の御利益がある)
古来 祭神の御神徳にて 上桂村には 大火が起こらないと言い伝えられている。」
そうなんだー。
手水舎。

小さな龍の水口から 水が滴ってました。

で この水は境内で汲み上げた地下水だそうです。 へーと思っていたら 奥の板に「お願い」として_
「衛生安全上飲料水としてご利用の時は煮沸してお使い下さい。」となってました。 (いや ここで水を汲んで家で煮沸する~ って人はないだろうと思われますが、 災害時にここに避難してくる人があるかもしれませんもんねえ)
西へ向かうと_
左手(南)に「北宮神社」、正面に拝殿がありました。

南にあるけど 北宮神社 なのね?

(位置が変わった、んでしょうか?)
御祭神は火雷神(ホノイカヅチノカミ)との事でしたね?(説明板によると)
北宮神社の裏手(西)は 「和神苑」となっていました。

あちこちで祀られていた石が集められた、のかなー? と眺めていると↓中にはこんな子たちも^^)

(はるばる信楽から来たのかなー?)
拝殿の先の本殿。


北側から見た神殿部。

お賽銭箱の横にケースがあり、御札やお御籤が「セルフ」で授与(?)されていました。

しおりは無料だったので 一部頂きましたよ。

(あら、北宮には 火雷神の他 菅原道真_天神様も祀られてたんですねー。平安時代の道真は雷神と同一視されていた~ とか 今は道真を祀る北野天満宮も元々は火雷神を祀る北野寺の寺内社だった~ というから 「天神社を合祀」ではなく 同じ神 として祀っている という事でしょうか?)
境内の西には 小社が並んでいました。

しおりの「小宮」の項に載る 「春日大明神、植松神社、八幡宮、厳島神社、談山(タンザン)神社、三十番神社、三宮神社」と思われます。
ありがとうございました。/ 退出いたしましょう。

出しなに気づきましたが これは御神輿の蔵でしょうかね?


どんなお祭りだろう、と画像検索したらー
こんな絵 がヒットしました。立派な御神輿ですね。そして神紋が 「沢瀉(オモダカ)に水」とわかりました。(「下御霊神社」や「下桂・御霊神社」と同じく。/ 上御霊神社の紋だけ違う という事かなー?)
さて、この後は一度桂川へ出て、分水工を探す事に~。 / つづく