田尻(タジリ)を歩く-1:春日神社 | (又)おだわらぐらし はじめました

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 背広を脱いだ夫と 結婚以来ずっと専業主婦の私との
「新しい日常」を綴って参ります

(亭主と難波でランチ、の続き)

難波から南海に乗って_
「吉見ノ里」で下車。

この日(って昨日ですけど)は 田尻の港を見に行ったのですが、まず目指したのは春日神社です。(↓駅前の道を海側へ歩いてます)

(↑わー珍しいな むくり屋根だー と思いましたが この日歩いたエリア(田尻+泉佐野)では 旧家は大体どこもむくり屋根でしたー。)

道なりに行くと 右手に「吉見地区 櫓(ヤグラ)新調 櫓格納庫新築 記念」と刻まれた岩がありました。

_櫓って お城の石垣の上なんかに建てられる小さな砦状の建屋? かと思ったら_
このエリアでは いわゆる「だんじり(地車)」(←お祭りの山車)を「やぐら」と呼ぶのですって。

・・・ すみません、櫓の格納庫は撮り損ねていたので ストリートビューから撮った絵を貼りますー。

ともあれ、田尻のみなさん、おめでとうございました。

格納庫を過ぎた所に 春日神社。



奈良時代に吉見小佐治という人がこの地を拓いて村を作った際 吉見の祖神である春日大明神を勧請したのが始まり~ という神社。(という事は吉見は藤原氏系?)/ + 地名 駅名 藩名の「吉見」は 開拓者・吉見氏の姓由来 という事でしょうかね?

祭神は、武甕槌命 齋主命(イワイヌシノミコト=経津主神) 天児屋根命 大日孁貴命(オオヒルメノムチノミコト=天照大神 ← 春日の神、というと 天児屋根の妻と言われる比売神を合わせた「四柱」である事が多いのですが、こちらでは比売神ではなく天照大神が祀られていました)。 又末社:若宮神社には「天押雲根命(アメノオシクモネノミコト)という天児屋根命の御子神が祀られている、との事。


手水舎。

手を清めましょう。


さて、参道の正面にあるのが正殿かなと思ったのですがー

こちらに祀られていたのは、


右から_ 大山祇命(オオヤマツミノニコト)、太田命(←猿田彦神の子孫)、市杵島姫命(イチキシマヒメノミコト)、保食神(ウケモチノカミ)、磐長姫命(イワナガヒメノミコト)、でした。


正殿は左手の_

こちらー。

(↓南東を向く拝殿。その奥に並ぶ四柱の神の社も南東を向いていましたが、少し離れた所に建つ若宮社は南西を向いていました。)


拝殿右手前には戦前奉納された物か「軍人中」と彫られた灯篭、「戦□□□之石塚」と彫られた碑(←Wikiの「春日神社(田尻)」によると日露戦争出征者碑 だそう)、そして奥には石の馬(←同じ頁によると太平洋戦争中に持ち去られ 戦後作り直された物、とか) がありました。

ちょっと気になった物_。

拝殿脇に置かれていた古い 紋入り鬼瓦。

今建つ拝殿の瓦には よく見る「下がり藤の紋」が付いているのですが、これはちょっと珍しいデザインの・・・ でも「下がり藤」とわかる紋ですよね。非量産時代の_ 手作りの物かなー?


その他の末社。
↓参道左手の 事代主神社。

↓参道右手の 八坂神社。

(↑左奥に見えているのは 吉見地区の櫓(ヤグラ)格納庫。)
さてこの八坂神社、は石作りの どこか供養塔を思わせる形をしていましたが、正面には「何か・・・」が彫られていました。

↑〇に大の字?ユニオンジャック? 扉、が描かれていたのかしら?(知りたいなあー)

もういっちょオマケ。

道を挟んだ向かいの 児童公園の先に、
一の鳥居(多分)がありました。

道路で分かたれてしまいましたが 昔は あそこ からが境内地だったのかもしれませんね?

さて、児童公園の裏の道を道なりに進むと_

「鳥取吉見泉佐野線 (府道250号線)」という長い名前の道に出ました。(因みにここの「鳥取」は大阪府阪南市の地名~)

(↑神社前からの道を右に折れ、北東を向いています)

ではしばらく この道を歩いて参りましょう。/つづくー