
JRの線路は 鳥羽止まり。乗ってきた汽車は名古屋行になります。すぐ隣に近鉄の特急「しまかぜ」が停車しているのが面白かった。

山側へ出ます。

路上に描かれていた周辺MAP。

_鳥羽城跡へ行ってみましょう。
鳥羽城は 海賊大名の異名を持つ九鬼嘉隆が築城した城。 出島の様に 海に突き出した城だったそうです

↑MAP中程の 緑に囲まれたオレンジの部分 が城跡。 海を濠代わりに持つ城 と 山 の間に町が作られたので 今も住宅地や市庁舎等は海から離れています。

扁額「金刀比羅神社」

近くに神社があるのかと思ったのですが 金毘羅さんは1キロ以上離れた山の上、でした・・・。(という訳で行ってません)ここが「一の鳥居」になるのかな?
さざえストリート!

この線路沿いには サザエや鮑 蛤などの焼き物を食べさせてくれるお店が並んでいました。

生け簀のあるお店も多く、 前を通るだけで「ときめき」ました^^)

(でも、一軒のお店で「明日のお昼の予約って 受けてもらえます?」と尋ねたら 「すみません お昼は行列ができるので予約はお受けできません」と言われちゃった。/ 早い者勝ち!って事ですねー?)

赤福さんだ。(伊勢エリアは どの街にも赤福さんがあるー)


この赤福さんの前を通る道が元々のメインストリート「岩崎通」です。
道なりに行くと「伊良子清白の家」がありました。

伊良子清白は 鳥羽在住の開業医にして詩人、だそうです。

この建屋は「診療所 兼 住宅」との事。



↓塀に貼られたプレートの「絵」を見ると 診療所は海のすぐそばに建てられていたとわかります。/ 今鉄道が走っている所も かつては海だったといいますから 家が動いたのではなく 海が遠ざかった、っぽい。

道は 山裾をなぞるようにカーブしていました。

↑旅館「海月」さんの裏の 建屋、面白い。何階建て?急斜面に建ってるのかなー?
↓と、との手前の建物は「門野幾之進記念館」。

日本の生命保険創立の功労者_門野幾之進の ここは生誕の地、だそう。
海月前を てくてく_

(↑地図によると 奥の山の上に 金比羅さんが建っている模様)

↓右手斜面地に「御木本 真珠研究所」が現れた。

↓そしてその向かいの 左手に見えるのが 城があった城山。

どこから上がるんですかねー?
「寿し梅」さん前の道を尚まっすぐ行くと 金比羅山。


が、私達は手前の道を左_ (錦町通の一筋海側)へとりました。

少し行くと、 城山への上り口が見つかりました。

石段を上がります。

大山祇(オオヤマヅミ)神社と書かれた旗が並んでいます。

正面奥に社殿が見えてきました。

境内には初詣の準備としてでしょう 薪が置かれていました。

手水舎前には 銀杏の落ち葉で作ったハート^^)

手水舎前から改めて見た 神社。

ではお参りしましょう。

こちら、「伊勢志摩観光ナビ」の頁によると_
「瀬戸内海に浮かぶ大三島(今治市)の大山積神社の末社で 横町、中之郷、藤乃郷、錦町の村社として1907年(明治40年)に建てられた神社。」だそう。(明治39年の「神社合祀政策」による?)思いのほかに新しい神社。/ あれ?じゃ 山の上の金比羅さんは?と思ったら そっちはもっと新しく 昭和31年に勧請されてました。
↓狛犬達。


↓石段脇に 御神石 と 御神杉。

石段を上がった所に拝殿。

その奥に御神殿。

御祭神は大山祇神(オオヤマヅミノカミ)。
神社としては明治の末に出来ていますが 地元には 「九鬼嘉隆が築城の際に 元城山 から移した神」 という伝承も残るそうなー。
境内社。

(三重県神社庁の神社一覧の頁の祭神欄には主神の他 主神の妻神草野姫命・猿田彦命 の神名が記されているので もしかしたらこの二柱の神が祀られているのかも?)
↓その先には 大漁稲荷さん。


お稲荷さんの先から山へ上がれるのかと思ったのですが 道が見つからなかったので_(後で地図見たらあったんだけど・・・)))
引き返しました。

↓境内地山側にあった御輿庫。

では改めて城跡を目指します。

_つづく。