
(↑国道23号線を南へ歩いています)
↓川沿いに進むと鳥居がありました。

↓境内図

今いるのは本殿の東側、なんですね?

道なりに進むと摂社_佐瑠女(サルメ)神社がありました。

主神:猿田彦の妻で 佐瑠女君(サルメノキミ 猨女君)の祖といわれる 天宇受賣命(アメノウズメノミコト)が祀られています。/ 天宇受賣は高天原で天照大神に仕えていた「天つ神」。猿田彦は天孫降臨の際に瓊瓊杵尊を案内した「国つ神」。この二柱の神が夫婦になったというのは考えてみると不思議・・・。モデルになった歴史的事象(例えば渡来人との混血)とかあるのかなー?
本殿へ向かいましょう。

由緒書。

主祭神は猿田彦大神。相殿にはその子孫・大田命を祀る。
「抄/ 猿田彦大神は天孫・瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)をこの国に案内された後、 天宇受賣命と 本拠地であるここ伊勢の狭長田(サナガタ)五十鈴の川上の地に戻り 地域の開拓に尽くされた地主神。/ その子孫・大田命は、倭姫が天照大神を祀る土地を求めて巡行された際 この伊勢の地をすすめました。 _こうした伊勢神宮創建の縁から、 大田命の子孫で猿田彦神社の宮司を務める宇治土公(ウジトコ)家は 伊勢神宮から「玉串大内人(タマグシオオウチンド)」という特別な職を頂いている~」 との事。
手水舎

拝殿

屋根に載るのは内削(ウチソギ)の千木。(伊勢では水平に切った千木を「女千木(メチギ)」_とは言わないよう。出雲とは色々違っていて 何を見ても珍しい・・・)

(屋根の重ね方も平入と妻入りが交互になっていて面白い。)


拝殿の前にあったこの方位が刻まれた石柱は「古殿地(コデンチ)」。(かつてはここに神座があったといい 今はパワースポットとして人気~ らしかった)

絵馬掛け


(近くに置かれていた「個人情報保護シート」を使っている絵馬が多かったー。今日的だなと感じました。)
子宝池


裏へ回ってみます。





神殿の後ろ姿。


↑ここにもあったよ、四本(x2)の小狭木舞(オサゴマイ 鞭懸(ムチカケ)とも)。(「神明造(シンメイヅクリ)」の屋根の特徴、なんですって)
川を渡ります。

田んぼが一枚ありました。

五月五日にここで行われる御田祭(ミタサイ)という祭は_

_県の「無形文化財」に指定されているんですって。
_とこんなのが猿田彦神社、でした。

続いては内宮の方へ。/ でもその前に おかげ横丁の豆腐屋さんでお昼を頂きましょう。