伊勢神宮 内宮(ナイクウ) | おだわらぐらし

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縁あって暮らす事になった相模の国 小田原
一杯見て 一杯歩いて 一杯味わいたいと思います

賑やかな門前町を抜けると 伊勢神宮の内宮(正式には「皇大神宮」)の鳥居が現れました。

↓案内板。
御祭神は天照大御神。御鎮座は垂仁天皇26年。(元々は皇居_当時の宮は「三輪山西麓の瑞籬宮(ミズカキノミヤ)」だったといわれている_に祀られていた天皇家の祖神・天照大神ですが 崇神天皇が皇女豊鋤入姫(トヨスキイリヒメ)に命じ 御魂の新たな鎮座処を探させます。最初に移したのは笠縫邑(大神神社の北の檜原(ヒバラ)神社か)でしたが、御魂は鎮まらず 姫は御魂と各地を転々とする事に。
そして約90年後_御代も斎(イツキ)の姫も代替わりした垂仁天皇の26年、 倭姫(ヤマトヒメ 豊鋤入姫の姪。伊勢神宮初代斎宮)とともにこの地に入られた御魂はやっとお鎮まりに_。/ 詳しくはWikiの「元伊勢」を)

五十鈴川を渡ります。

架かる橋は「宇治橋」。

橋からの眺め。

(↑川上側に6本杭が立っていました。「木除け杭」というそうです。川上から流れて来る物から橋を守る役目を担う物らしい。)
(↓因みに川下側には杭はありません。/あ、これは帰りに撮った写真。)

渡り切った所に又 鳥居。

橋の両端の鳥居は 「旧正殿の棟持柱」で作られているそうです。二つの鳥居は 次の遷宮では「鈴鹿の関の追分」「桑名の七里の渡」の鳥居となる、といいます。(へ~)

参道は五十鈴川に沿って南へ向かいます。

参道脇に お酒が積み上げられていました。


更に進みます。

小さな川を渡ります。


境内案内図。

手水舎があった。


(↑水口の無い水盤)
手を清めた参拝者は 参道に戻ります。

鳥居の先でみんな川辺へ。どういう事かな?と思いながら ついていく私達・・・


「五十鈴川に投銭をしないで下さい」という立札にも関わらず・・・^^;)

(↑傾向には対策、という事なのか 川底にネット_)
が、ここは 元々は「御手洗場」という 参拝者が身を清めていた場所なのだそう。


再び参道へ戻ります。



授与所。

その先に_

御饌殿(ミケデン)


神楽殿


更に進みます。


左手の石段の上に正殿が見えてきました。

撮影はここまで。

改めてですが_
御祭神は天照大神で、ご神体は 三種の神器の一つ「八咫鏡(ヤタノカガミ)」。(瓊瓊杵尊が高天原からお持ちになった物と言われているそうー)

続いては天照大神の荒御魂を祀る荒祭宮(アラマツリノミヤ)へ。

道脇に杉の大木が。

パワースポットかな?みんなが幹を撫でていきます。


道なりに行くと_
御稲御蔵(ミシネノミクラ)、

外幣殿(ゲヘイデン)、がありました。

どちらも 切妻部分に四本(x2)の小狭木舞(オサゴマイ 鞭懸(ムチカケ)とも)が覗く伊勢独特の「神明造(シンメイヅクリ)」の神殿の形をしています。

更に進みます。



ここが別宮_荒祭宮。




又・・・パワースポット?

(社殿はありませんがここに「四至神(ミヤノメグリノカミ)」という境内鎮守の神様がいらっしゃるんですってー)

別宮、風日祈宮(カザヒノミノミヤ)へ行ってみましょう。

橋がある_その名も「風日祈宮橋」。

島路川(シマヂガワ)を渡ります。


その先に_

(旧社地の隣に新しく神社が建てられているのがわかりますね? / 遷宮ではこうした別宮も全て建て替えられるんですねーーー)

このお宮は鎌倉時代に「蒙古軍を退けた」御神威を称えて造られた、んだそうですよ?

御祭神は_級長津彦命(シナガツヒコノミコト) 級長戸辺命(シナトベノミコト 級長津彦命の別名とも 妻 姉の名 とも)、だそうです。/ 大阪の磯長(シナガ←地名)の科長(シナガ)神社に坐す風の神:級長津彦命・級長津姫命とも関係ある、かな?


間もなく出口なんですけど_ 手水舎がありました。(まさか 手を洗ってから退出~ ってありませんよね?)

そばの池。(シンと静まってました)


厩_


「草新号」_馬の名前でしょう。(2018年に皇室から贈られた馬との事ですが 姿は見えませんでした。/別の所で飼育されているのかな?)


これで一通りのお参りができました。
ありがとうございました。

この後は 再び五十鈴川を渡って おかげ横丁へ。

つづく。