丸太町駅から烏丸通りを北へ歩く | (又)おだわらぐらし はじめました

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 背広を脱いだ夫と 結婚以来ずっと専業主婦の私との
「新しい日常」を綴って参ります

菅原院天満宮神社 参拝の後は、烏丸通りを更に北上して 護王神社を目指したのですが_

なかなか味わい深い建築物が多いエリアだったので 一つ前の記事では飛ばした、地下鉄丸太町(マルタマチ)駅からの絵 も含めて、道すがら撮った通りの写真を貼りますね。

(↑烏丸丸太町交差点。右手に見えるのが京都御苑。)

↑これは前の記事にもつけた駅の2番出入口。レンガ調にしているのは 隣接する「大丸ヴィラ」との調和を考えての事でしょう。
↓大丸ヴィラというのは 大丸の創業家・下村家の旧邸宅 だそうです。

昭和7年(1932年)に建てられたもので 京都市の登録有形文化財。設計はかのヴォーリズ、とか。

ハーフティンバー調の建屋は緑とマッチしてて素敵ー。


次の角は 西へ入ってみました。

なぜならここに (十二段屋に入れなかった場合、を考えてプランBとして選んでおいた~)↓

お蕎麦屋さんがあるから。

(↑竹邑庵太郎敦盛さん、ここもいつか・・・)
↓路地を抜けた先は右へとって_

烏丸通りに戻ります。

通りの向かいは御苑_。

(↑後で行きまーす)

で烏丸通りを北へ上がると、(前の項にも貼った絵ですが)_菅原院天満宮神社があるんですねー。

(↓これは先の記事には載せてません)
境内社の「梅丸大明神」社の奥に見える煉瓦造りの建物は平安女学院の「明治館」。


更に北へ行くと 又煉瓦の建物が。
↓聖公会の「聖アグネス教会」ですって。

方形のキープの様な鐘塔が いかにも聖公会~ って感じですね?

↓説明板。「大阪の照信女学校が明治28年(1895)に京都へ移り平安女学院と改称されたとき、その礼拝堂として アメリカ人 J.M.ガーディナーの設計により、明治31年に建築されたものである。この建物はさらに、日本聖公会京都教区の大聖堂としての役割も果たし、聖三一大聖堂とも呼ばれていた。現在は京都教区の大聖堂と聖アグネス教会の聖堂を兼ねている。(中略)昭和60年 京都市指定有形文化財に指定された。/京都市」

へ~。


教会から道を渡った所に、有栖川宮(アリスガワノミヤ)旧邸。

元々は御所の南の建礼門(ケンレイモン)の南側にあった建屋ですが、京都裁判所の仮庁舎として使われた後 現在地に移築され~ 以降は京都地方裁判所の所長宿舎となっていたといいます。2008年に平安女学院大学が購入し、今は同大学の「有栖館(アリスカン)」となっている、そうなー。

パレスサイドホテルを挟んで北にある洋風の建屋。

そばに立つ石柱には「シ・エム・ウィリアムス師旧邸」と刻まれていました。

ウィリアムスさん(Channing Moore Williams) はアメリカ人宣教師で 日本聖公会の初代主教になられた方、だそう。
(Wikiの「晩年」の段にある”京都の住まい”、が ここになるのかな?)

又行くと_山川友一装束店 というお店が。

トレードマークは「山に一」かー。/御所の前ですし きっとゆかしい御装束とかをあつらえるお店、なんでしょうねえー。

_その先に (やっと?)見えてくるのが護王神社の板塀。

ここからは 又項を変えまして~。

つづく