叡福寺北古墳(聖徳太子の墓) | おだわらぐらし

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では 今回のミニトリップの第一目的地、叡福寺北古墳 伝・聖徳太子陵墓 へ行ってみましょう。

(↓磯長岡(シナガオカ)神社から西へ歩いています。)

↓下部に壁がついた渡り廊下の端の鐘撞堂。

↓南面して建つのは浄土堂。

(この 瓦が良かった。新しい瓦には出せない「一枚一枚微妙に違う」色合い。そしてフリーハンドで描いたような素朴なライン。)





浄土堂の向こうに ぱ っと現れる三連の妻入りの屋根。

ここが「推古天皇皇太子 聖徳太子 磯長墓(シナガノハカ)」ですね。


屋根の一番手前は唐破風になっていてー

上には龍が載り、

下には阿弥陀様(御手の形から 多分)がおられました。


全体としてとても美しいフォルムになっています。(古墳の石室への入り口がこんな御廟風になっているのを初めてみましたが、 思えば皇室が管理する古墳の石室入口自体を 見た事がなかった・・・。)

二つ前のエントリーにも書きましたが、被葬者は太子の他 生前から太子に「一緒に葬られよう」と言われていたと言われる(つまり最愛の?)三番目の妻:膳郎女、生母で用明天皇の皇后:穴穂部間人皇女の三柱。/ 陵墓は太子の生前から造成が始まっていたといいますが 先に御生母が亡くなって 石室の奥へ葬られ、 その後に太子と妃が 手前に並んで葬られた そうです。(因みに亡くなったのは一日違いと伝わっています。二人とも流行り病で命を落とされたのですね)/ 残っているのは石の棺台だけですが 元々は台の上に乾漆棺が置かれ ご遺体はその中に納められていたのであろう と推測される~ のですって。
(墳墓としては_ 形状はあまり整っていない楕円の円墳、 決して「最上級」ではないのですね? 太子の死後 太子への評価が高まって このように墓前が整えられたり寺が建てられたりした~ よう。)

その向こうには 古墳入口の方(東)を向いて建つ「上の御堂」と呼ばれるお堂。


↓古墳の南正面の門。

(↓門に立って古墳入口を見たところ)

門内部には_

天部の武人風の立像が二体。


これは四天王のうちの二体かな? と思ったのですが (この後見る事になる)お寺の入り口を守っていたのは金剛力士達で・・・ 二体きり、でした。/尚 門の名も「二天門」だったのでした。

では 退出しましょうー。
_と思ったのですが、 実は むしろここからが叡福寺だったのでしたー。

つづく。