太子町のこのあたりは磯長谷古墳群(シナガダニコフングン)と呼ばれる 古墳の多いエリア。 敏達天皇陵から 推古天皇陵へ向かう途中でも、
小さな墳丘が集まった「葉室(ハムロ)古墳群」という、(磯長谷古墳群の)支群のそばを歩きました。
↓__ ってな事に気づく前。「のどかな所だねー」などと思いながら撮ってます。
↑後でそうと知りましたが これも古墳(釜戸塚古墳)でしたー。
↓道脇の段差も人為的に築かれた物だった模様ー。
周囲を耕地として拓かれ すでに形がわからなくなっている墳墓も少なくないようですが・・・、、、
学術的価値のわかった現代_ これ以上の損失は防がなくては、という事になって でしょう、公園として整備されている一角がありました。
↓という事にも思いいたらず 右にぽつ っと見えるオブジェに「何かな?」と近づいてみたらー
(↑後で知る事になりますが 竹が密生した場所の向こうが「葉室塚古墳」。)
「葉室公園」という公園だった、のですが。 (尚公園のシンボル的なオブジェは大阪芸大講師:壺井さんのデザイン だそうですって)
今ここに保存されているのは_石塚 釜戸塚 葉室塚、の三基の古墳、のよう。
↓うち、石塚古墳は 上が歩けるようになっていましたよ。
こんな風に整備されているなら もっと散策者にアピールすればいいのにー と思ったら、すぐそばの道脇に ばばん と 案内標識+MAP が設置されていました^^;) (単に私達が脇道側から来てただけだった模様~)
では引き続き 推古天皇陵の方へ~。
(↓近道しましょう。車道を離れ細い遊歩道を行きます。)
(↑奥に二上山。/左の上が平な山が 大津皇子の墓のある「雄岳」、右の尖った山が「雌岳」です。// 二上山は奈良からも大阪からも見える「twin peaks」で、ランドマークとして使われますが 見る角度で形がかわる 面白い山でもあります。)
↓おや、ここは?
へー「シャクナゲガーデン 花さき亭」ですって。
(↑なかなかよさげ~)
道なりに進み 車道と合流すると すぐ南に一目でそうとわかる墳丘が見えました。あそこが推古天皇の陵ね?
↓ここから上がるみたい。
↓拝所が見えてきた。
地上からはわかりませんが「方墳」です。(夫の敏達天皇陵が 前方後円墳、甥の聖徳太子の陵墓は円墳、、、 この時代 墳墓の形は「個人のセンスで自由に選べた」???)))
そうそう、ここも合葬墓でした。/一緒に眠っているのは息子の竹田皇子です。
↑板の文字は/ 推古天皇 磯長山田陵(シナガノヤマダノミササギ)、敏達天皇皇子 竹田皇子墓(タケダノオウジノハカ)
どうぞ安らかにお鎮まりを。<合掌>
御陵前から南を眺めたところ_。
続いては少し左手_ 南東に見える「二子塚古墳」へ行ってみましょう。
振り返って見た 推古天皇陵。
つづくー