
(↑神社から 上野市駅前 へ出てきたところ)
そうそう、上野市駅、ですが 「忍者市駅」と名前が変わってましたよ?

英語表記も「Ninja City Station」!
(ただし あくまでも「ニックネーム」として、のようですがー)
そういえば市の名称も 2004年に「上野市」から「伊賀市」に変わってたんですよねー。(上野だけじゃ東京の上野と間違えられる、というので かなり以前から「伊賀上野」が使われてきましたが 上野の方が削られた、という・・・)))
駅の北には 藤堂高虎が建てた上野城・・・の復元された「模擬天守」が見えました。

お城がある山が 旧市名、そして城名になった 「上野山」です。
上野山方向に歩くと 市役所がありました。

市役所の建屋には「ようこそ忍者市へ!/ 歓迎来到忍者市!」という横断幕が! ええーーー?

伊賀市が更に「忍者市」になってたのかと本気で思ってしまいました^^;) (「うどん県」みたいなものか)
市役所の先を左手へ上がると お城があります。

で 実際は 先にお城へ行ったのですが、辻の右手に建つ「だんじり会館」で撮った写真を先に貼りますね。(菅原神社の記事の次に 神社のお祭の話が続いた方が 話がアチコチしなくて良いように思いますので)

↑という訳で これは 上野山から下りてきたところ~ なのです。
改めて、「だんじり会館」です。

ん?

こっ こんな所にも忍がー

気を取り直して(?) 入館します。

(中は撮影OK)
扉の向こうには いきなり山田孝之似のリアルなマネキンのお兄さんが! ってもちろん見るところはそこじゃなく ズラリと並ぶ豪奢な楼車(ダンジリ)です。(因みに、祭に出る各町の楼車は全部で九基。つまり ここに展示されているのはその一部、なんですねー)

↓わー楼車の横には 大きな御幣!

↑その手前の大小を腰に差した裃姿の男の子(いや おねえさん?)は どこか所在無気・・・^^;)(お奉行さん役の子、とかかな?)
↓時にこの 大きな御幣は 文字通り「大御幣」という物でー


↑「五大力明王をかたどったもの」なのだとかー。
↓この鐘をかついでいるのは「ひょろつき鬼」の一体「釣鐘」さん。鐘の重みを表現するためか ひょろひょろ よたよた と歩く、んですって。

「ひょろつき鬼」は 他に「笈持(オイモチ)」一体、「斧山伏(ヨキマブシ)」二体、がいるそうです。
↓お祭りでは 悪疫退散と豊穣を祈念して練り歩く鬼の行列 が神社のお神輿の露払いを務めるといいます。

↑先頭は「悪鬼」。(ここの悪は強い の意味で 悪い鬼 ではない、とのこと)
↓悪鬼に続くのは猩々(ショウジョウ/赤目)、泥眼(金泥の目)、小面~等の面を付けた子供達。

その後には 錦織の中国風の「服」を着、冠を付けた「異国の人」っぽい鬼達。

更に役行者(エンノギョウジャ)~

(↑投げ頭巾を被り一枚歯の下駄をはいているのが役行者)
__元々は山岳信仰系のお祭だった、んでしょうかね?
「まもなくムービーが始まります。二階でご覧下さい」という案内がありました。

↑正面のスクリーンに映画が映されるみたい。
↓オススメに従い二階へ上がりましょう。

始まったー。



通りをこんな風に楼車が進むんだー。すごいなあ。
素直に感動しました。
二階には (ムービーの観覧席があるだけでなく) 祭のいわれ等を記したパネルや資料が展示されていました。



↑これは魚町の楼車の上に載る琴高仙人(キンコウセンニン)1/5の模型ですって。 鯉に乗っています。
↓因みにこっちが 一階に展示されている楼車。


(↑なるほど~、ですね?)
(_細かく見ていたらキリがない程 どの楼車も素晴らしいんですよ。
私的には「向島町」の楼車の・・・

↓鯉とか 「気に入ったー」でしたねー。)

それにしても、こんな 華やかで不思議なお祭が 伊賀 という地域で伝えられてきた事には 驚かされますねー。いや、それは私が 伊賀というと「忍」 しか思い描けないからか^^;)/ 江戸時代の意賀は どんな産業で潤っていたのかしらー? (もっと伊賀の事 知らなくちゃ)
順番は逆ですが、続いては 「伊賀流忍者博物館」で 忍者ショーを見た、話を綴りますね。(これが 思いのほかに面白かったんです)