ニノーヴァル・ウォッシュ・カフェでパンケーキを食べた後は、すぐその裏手にある吹田市立博物館へ行ってみました。
↓ニノーヴァル~に隣接する紫金山公園。
博物館もこの公園の敷地内。 (公園には須恵器の窯跡、瓦の窯跡などもあります。又 吉志部(キシベ)神社も公園の敷地に囲まれて建っています。この神社や窯跡も博物館見学後訪ねてみましたよ?)
って、すぐそばのはずの博物館_
車で行くのは結構大変でした。(ぐる~~~~っと、大回りしなくちゃいけなくて)
(↑■コインランドリーから■博物館ったら直線距離だと高々200mなんですが、駐車場(P)はE1(名神高速)の向こう側! (しかも私左回り、で行ったものだから1.8キロ程走る事に)))))
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シーン抜け
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無料駐車場に着きましたー。(MAPのP地点)
高速の下を潜りましょう。
↓子供の絵って いいね^^)
しかしトンネルを抜けるとそこは_
夏草生い茂る「ロストワールド?」でした・・・。
振り返ると高速道路。
_もしかして 高速道路によって博物館と駐車場は隔てられた、の?(参道の途中に後から車道を通して 渡らないとお参りできなくなった神社、みたいに)←後でわかりましたが「ちがいました」。
目に入る案内板は_
こんな感じのものばかり・・・
(余談ながら フェンスの向こうが「釈迦ヶ池」という池である事、覚えておいて下さいねー? 博物館内の地域の祭、のコーナーで出てきますよー)
(来館者としては「博物館はこちら」とか書かれたボードを見て安心したかったー)
茂みの中には壊れたフェンスがあるし・・・。
あ、右手に建屋が見えてきた。
ばばん!/大学か議事堂か みたいな厳めしい面構えの建物_ こちらが博物館ですね。
まわりが 鬱蒼 としているからか「遺跡」のような雰囲気も・・・。
この日は夏休み初日。 展示も新しくなってる~みたい。
Wikiによると_
この博物館は、発掘された埋蔵文化財や収集してきた民俗資料の 保管展示場所として1992年(平成4年)11月15日に開館した、そうです。(割と新しいんですね?)
階段を上がります。
途中にガマが植えられてました。ビオトープかな?
階段を上がりきったところ。
あら、今日は無料だって。ラッキー。
館内。(撮影禁止 となっている物以外は撮ってもOKとスタッフさんから聞きましたー)
? あ、今いるのは2階で、展示室があるのは 上の3階 なのね?
近くにエレベーターもあったけど_
階段で上がりましょう。
上りきったところ(ロビー)には仏像。出土物の複製品かなと思ったら 金の仏様は「ふれ愛観音」という西村公朝という現代の仏師さんの作品で文字通り「触れる」事ができるものでした。横の彩色されていない仏像達の横にも 「さわってみよう」と書かれた黄色いカードが貼られていましたから触って良かったのだと思います。
(視覚に障害のある人には良い展示ですよね)
その向こうには近くの新芦屋古墳から出土した馬具の複製。
それを実際に馬(の模型)に装着させてる訳ですが すごい!
鐙や腹帯が「革紐+バックル」で留められている。(面繋も胸繋も!) バックルって江戸時代の暴れん坊将軍の馬には確か使われていなかったー・・・。なんか オーパーツを見た気分に。(が、しかし実際にバックルは出土しているんですよ。進んでたんだな、古代の日本。でもその技術はどの時点でか失われてしまった・・・ ノカナ?)
まずは「夏季特別展/ めぐる・かわる・つながる-自然の循環のふしぎ-」のコーナーを見る。
人体や自然・天文等の「循環」に絞った企画の展示。
すごいな 江戸時代 すでに黒点観測が行われていたんだー。
↑『 平天儀図解(ヘイテンギズカイ)』は享和二年に出された天文学の入門書。書いたのは泉州の岩橋嘉孝(善兵衛)という眼鏡屋さん。岩橋さんはレンズを磨く技術をいかし後に望遠鏡屋さんになったそうな。
(↑あれ?享和(1801~1804年)二年が1783年というのは変だと思うのー。って誰も気にしないかー)
展示室を見学しましょう。
まず第一展示室からね?
古代史のエリアは 軽く眺めて、と_
ジオラマ見るの好きー。
(↑古墳時代になってもまだ一般庶民は弥生時代と大差ない住居に住んでたんだねー / もっとも竪穴式の家って存外快適だったみたいだけど・・・ (茨木市の「まだま村」って竪穴式住居のカフェ、エアコン無かったけど涼しかったわ))
あ、新芦屋古墳(7世紀前半)のコーナーになった。/ 墓室を木で構築した珍しい古墳、かあー。棺は組み合わせ式石棺。へー。
で、これが出土した馬具、ねー?(ロビーで馬の模型が身につけてたところの)
仏教の浸透とともに古墳時代は終わるー
さて、この辺から私には難しくなってきました^^;)
垂水荘(タルミノショウ)って?
(えー 摂津の国には色んなお寺や貴族の荘園があったようですが、現・吹田市の東寺領の垂水荘は 平安時代から戦国時代まで存続しており、 途中鎌倉時代末に混乱期があった事も含めて 様々な資料が残っているそうです。)
↓中世の蔵人村~(江坂町2丁目あたり)。
ここは「春日社領垂水西牧に含まれる荘園の集落」だそう。
発掘による出土物+資料で 鎌倉から室町にかけての村落生活をリアルに知ることができる、んですって。
(複数の井戸が見つかっていますが、井戸の廃棄にあたって 枠材を抜き去って他の井戸に転用したり 節を抜いた竹を差し込んで「井戸の神が窒息しないよう」に気遣ったりした事もわかったそうです。当時の人のセンスや価値観、 おもしろい^^)
↓再現された井戸。
(↑村人が着ていた着物は麻、でした。木綿が普及する前の時代 なんですよね?)
あ、ここも難しかったわ。
「五反島遺跡(ゴタンジマイセキ)」(場所:南吹田5丁目)
(↑写真は平安時代の神崎川の堤防とか)
弥生~室町時代の遺跡だそうなんだけどー・・・(長すぎて想像しにくいー)ここから 「銅鏡・馬具・鉄鏃・刀子・鉄斧・かまど等」がでてきたんですって。とても 只捨てたとは思えないので何らかの祭祀が行われたのではないか、と考えられているそう。
↓で その候補として「八十嶋祭」という今では途絶えたお祭がー。
(遺跡の少し北に 垂水神社という八十嶋祭を行った神社の一つもあるし 発見された鏡のサイズも文献と合致する~ もしかしたら?)
すみません、「国人領主」「惣道場」、難しくてよくわかりませんでしたー。
あ、ここ 面白かった!
↓江戸時代の地域のお祭り、のコーナー。
これはドンジ祭という吉志部(キシベ)神社の秋祭の行列の様子を再現したものだそうなんですが、どうですこの子供達(少女)の格好。
頭に被っている藁の輪はサンドラ(浅俵(サンダワラ)からか)という物だそうですが まるで河童のお皿。 草履は踵部分に二つの輪っかがついています。(最後まで編み切らない特殊な草履)
↓御供の包装もユニーク。
↓蒸した白米が大きな俵型に結ばれ(←因みにこれが「屯食(ドンジキ)」で 祭名の由来) 頭と呼ばれる木の台に載せられ 紙にくるまれ 菰に巻かれ 割った竹に挟まれ 藁で飾られます。
↓前日 頭家の家でお風呂に入り マコモの上に敷かれた布団に寝た少女達は 祭り当日揃って神社へ~。(マコモゴザは お供え を置くものですね?)
ちなみに これは神社の裏の釈迦ヶ池の大蛇への生贄の儀式の名残り。現に今も少女達は出発前に「別れの盃」を受けると言います。(大阪の他の地区の「一夜官女」「一時上臈」と同じく) / しかし! ああよかった、岸辺(キシベ)には 少女を救うヒーローが現れるのです。吉師(キシ)俊守という領主が蛇を切り それ以後人身御供の風習は無くなったんですって。めでたしめでたし。/ 人身御供の風習が無くなっても少女達を捧げもののように扱う祭が残ったのはなぜかなあ? 稚児に選ばれた者はお産が軽くなる、といわれるそうだけど・・・。(吉志部神社への道標も「お産乃 吉志部神社」と彫られている) そんなのが関係しているのかしら? それとも「神の花嫁」に選ばれるのは誉だったのかなー・・・。
(にしても蛇を切って人身御供の少女を救ったという領主様、 スサノオみたいですね?/因みに「キシ氏」は渡来系氏族、だそうです。)
その隣のブースでは泉殿宮(イヅドノグウ)の神楽獅子が紹介されていました。
二階獅子とも呼ばれるこの二人組の獅子は雨乞いや雨が降った喜びを表す所作をする~ との事。
では第二展示室へ。(長くなったので続きは項を変えまして)