石清水八幡 頓宮に続いて訪ねたお不動さん:杉山谷不動尊の絵を貼りますね。
↓五輪の塔「航海記念大石塔」の横の道を山の方へ上がっております。

道脇には 神応寺(ジンノウジ←石清水八幡の旧・神宮寺、曹洞宗) の参拝者用駐車場がありました。


(思ったより台数停められる駐車場でしたが ここまでの道が狭く すれ違い困難~ と思われました。車でいらっしゃる方、どうぞお気をつけて)
お不動さんへの上り口ですが鳥居が立っていました。扁額の文字は「大聖不動明王」。

後で知ったのですが お不動さんは神応寺に属しているのでした。(奥の院にあたるのですって) 神応寺は八幡様の神宮寺でしたし 神仏混交時代の名残り かもしれませんね?
坂を上がっていきます。

谷には紫陽花が群生していました。


男山ケーブルの架橋下を潜ります。



上の方から話声が聞こえてくるので「ハイカーかな?」と思ってたのですが 保線区の人達でした。(道理で、ハイカーにしては話の内容が硬い訳だ)

又鳥居。

手水舎があった。

手を清めます。

その先に分かれ道。滝へ行く道に 又々鳥居。


(↑鳥居の右の石に「ひきめ□た起道」と記されています。□の字は「能」の崩し字のようなので「ひきめのたき道」でしょうね)

進んだ先に告知板。「この霊場は神應寺の境内です。お滝をいたゞかれる方は、事前に不動堂へ申し出て下さい。(中略) 神應寺 不動堂主」 (はい、これを見てお不動さんが神応寺に属しているのを知りました。)

多分手前の建屋で着替えて 奥の滝で水垢離をする~ のでしょうね?

石段を上がり、不動堂へ行ってみました。

正面が不動堂、だったのですが
思いのほかに・・・斬新なお堂で正直びっくり。

調べてみると不動堂は昭和10年に山津波で倒壊し、今建つお堂は昭和48年に再建されたもの、だそうです。(あ、それで’70年代風なんですね?)

山津波にあったにもかかわらず 中のお像_60年に一度御開帳~という秘仏は 無事だったそうです。(因みに最近では2010年に御開帳なった、と言いますから 次は2070年???)))
不動堂の谷側の観音堂。

観音堂横から滝を見下ろす。

不動堂山側に 神応寺へ上がる道がありました。

奥の院から更に上がったお寺・・・ すみません、くじけてここで下山し、石清水八幡の頓宮駐車場へ戻った、のでございました。/ おしまい。