橘寺(タチバナデラ) | (又)おだわらぐらし はじめました

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 背広を脱いだ夫と 結婚以来ずっと専業主婦の私との
「新しい日常」を綴って参ります

石舞台の北向いの「明日香レンタサイクル」で電動アシスト自転車を借りた私達。
まず向かったのは橘寺です。

途中 飛鳥川を渡りました。

(↑「明日香川 瀬々の玉藻の うちなびき 情は妹に 寄りにけるかも」 歌碑の文字は犬養孝。)


その先の辻に「聖徳太子御誕生所」と刻まれた石柱が立てられていました。
左手には橘寺の屋根が。

この地には元々欽明天皇の離宮「橘宮」があったんですって。(これは田道間守(タジマモリ)が常世の国から不老不死の薬として持ち帰った橘が植えられた場所である事に由来する名前、とか) そして太子のお父さん用明天皇のお名前は「橘豊日(タチバナノトヨヒ)」。太子はここで 豊日命の長男:厩戸皇子として生まれた_そうな。 (但しこれはあくまでも「寺伝」。太子の生誕地は用明天皇の磐余池辺双槻宮というのが通説、らしい。)))

到着。
自転車は駐車場に置いてー

石段を上がります。

門前の受付で拝観料を納めて境内へ。

チケット。「別格佛頭山 橘寺 / 聖徳太子誕生所 新西国第十番霊場」/(チケットの裏は境内図になってました)

正面奥が本堂ですがー


「←特別公開」という案内板に、先に「収蔵庫」を見る事に。

鐘_。(戦時中に供出させられ 今あるのは戦後に造られたものだそう)

鐘の南側には「往生院」という比較的新しい建屋がありました。

鐘と往生院の間には 丁度見頃~ な八重桜が。

あれが収蔵庫ですね?

中は撮影禁止_

室町時代に制作された太子の生涯を現した八幅の絵(太子絵伝)のうち 二幅(第五と第六)が掛けられていました。 その他太子の仏教の師と言われる「日羅像」、(あ、この像は橘寺にあったのか!でした。) どどんと迫力のある「だ太鼓の縁」などを拝見。

向かいの往生院へもお邪魔。

なになに 天井画をご覧くださいと?

ほぅ~ なるほど。


お寺に新しい見所が一つ増えたようです。

往生殿から北の庭を見たところ_。


では本堂の方へ。

放生池(←捕えた魚を放す池)の脇を通って西へ行くと_

水神さんの祠が。

(↑ほとりに会津八一の歌「くろこまの あさのあかきに ふませたる をかのくさねと なづさひぞこし」が刻まれた石。)

振り返ると本堂~ですが
その手前に 忘れちゃならない見所が。

飛鳥時代の物と言われる「二面石」です。

「良面」と~

「悪面」、って言われてます。

が、なんか 納得できません^^;)(悪面はそれほど悪い人に見えないし、良面もそれほど良い人に見えないしー)

では本堂へ。

寺紋「橘」の幕が掛かる入口。

あら、扁額の文字「太子殿」ですって。

__ 本尊が「聖徳太子像」なんですって。(以前来た事あるのに・・・ 知りませんでした 如意輪観音が本尊かと思ってましたよー^^;)

本堂前から北西を見たところ_。

これは太子の愛馬「黒駒」の像。(平成12年に奉納された「二代目」だそう)

阿弥陀仏を祀る「経堂」。

屋根の宝珠。


六臂(ロッピ)如意輪観音を祀る観音堂。


観音堂の屋根。

お堂 入口近くのお像。(賓頭盧尊者でしょうか?)


ちょっと<おまけ>的に 「橘を探せ」。





観音堂の東には「三光石」「阿字池」。

(三光石は、太子 勝鬘経御講讃の時「日月星」の三つの光を放った~ という不思議な形の石。/ 阿字池は、太子が造った梵字の「あ(胎蔵界の大日如来を現す字だそう)」の形の池、 との事。)

↓この土蔵は何でしょう?(境内図に載ってないんですけどー)見た感じは経蔵っぽいですね?壁はいたんでいるけど素朴で「いい感じ」です。


東門から退出した後_
県道155号線からもう一度見た橘寺。

見所多いお寺でしたー。

続いては 「亀石」「鬼の雪隠」「鬼の俎板」の方へ~。