大和郡山城の桜-1(駅~毘沙門曲輪) | おだわらぐらし

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日曜日は 大和郡山へ桜を見に行きました。

駅を降りると「お城祭り」の文字。

↑バックは天守閣と桜の絵です。
郡山で花見というと お城:大和郡山城なんですね?

私もお城へ向かいます。

↑郡山は城下町。交番もこんな風!
↓石垣もあちこちに残っています。/交差点の向こうの石垣は「柳御門跡」。右奥は市役所です。

↓白壁の向こうに桜が咲いてます。

↓行ってみると花見客が思い思いに敷物の上でお弁当を開いていました。

(↑通行人も無く落ち着いて花見ができるいいスポットですね?)

三の丸緑地を北へ進みます。



枝垂桜?(立ち並ぶ沢山の支柱)


緑地の端まで来ました。


近くにあった「会場案内図」、

「郡山城址案内絵図」。

(↑こういう曲輪や堀の名前が書かれた物があると MAPとしてはもちろん 文を書く時も色々助かります~♪)

踏切を西へ渡ります。

(今走り去った上り電車を見送る)

渡った先には「お城まつり」のゲイトが。

右手はお堀 (五軒屋敷堀)。

「鉄(クロガネ)門跡」を通って二の丸へ。

本丸へ上がるには この道をまっすぐ西へ向かえばいいのですがー


右手(北側)へ折れ、まず城址会館の方へ行ってみます。

この 右手が「五軒屋敷堀」左手が「内堀」の細長い曲輪は「陣甫郭(ジンポカク)」。調練場として使われていたそうです。

(今はこのエリアには民家が建っています。お庭でお花見をなさっている御宅もあり「いいなー」でした。)

↓陣甫郭跡を歩きながら 内堀を眺めています。



↓不思議な「微でっぱり」、何だろう?(強度を上げるため、とかですかねー?)

あら?お城っぽい建屋が見えてきましたよー?

こ・・・これが天守閣?

大変失礼しました、これは追手門の向かいの「追手向櫓(←まんまの名前)」でした。

↓右手にはほぼ同じデザインの「東隅櫓」もありました。

(手前はカレー屋さん)

追手門の方へ。

その手前では「どじょうすくい」、やってました。(金魚の街で あえてのどじょうすくい!)

隅櫓脇から毘沙門郭(=本多家が城主だった時代の「二の丸」)の柳沢文庫の方へ上がる道もありましたがー


門を潜って城址会館へ向かいましょう。


↑1980年に「築城400年」を記念して復元された門~ ですって。(オリジナルの門は豊臣秀長の時代に作られたと考えられています。がこれは関ケ原で西軍が負けると 他の建造物と共に徳川に接収され伏見へ移されたそうです。が松平家が郡山の城主になると 再び郡山に戻された~ のだそうなー)

↓門を潜った先。右手(東)には高い石垣。(城址会館は右手奥にあるのですが ぐるりと遠回りしなくてはなりません。)

↓左手(西)へ坂を上がると目の前に天守台が現れます。(今立つ曲輪と本丸の間には堀があるんですけどね)

(↑白状します。ここまできて初めて郡山城には現在天守閣が無い と知りましたー)))
↓今潜ってきた門を振り返って見たところ_

↓追手門の北_法印郭跡に建つのが城址会館。

城址会館という名前ですが 元々は興福寺境内にあった奈良県立図書館。1968年にここに移され「市民会館」として使われてきたそうです。が 今は子供の教育施設に。(ここには学科指導教室「ASU」が設置されている んだとか)


↓「城址会館一階の見学をご希望される方は、中の係員にお声かけください。(ただし土日祝のみ)午前十時~午後四時」と書かれているのは そういう理由から、ですって。

内部
スタディールーム

階段。(二階は見学できませんでしたが もしかして安全上の理由からかなー?)

建屋を一周。

(日本版ハーフティンバーと言ってもいい 素敵な壁面。上げ下げ窓が洋風でカッコイイですね?)


城址会館の東の芝地にも桜が咲いていました。


↓渡された板の先には東隅櫓から伸びる渡り櫓への入り口が。

↓渡り櫓の北は鉄砲狭間の付いた土塀になってました。

↓鉄砲狭間から覗くと~

五軒屋敷堀の向こうに線路が見えました。(丁度堀向こうが狙える角度、って事ね?)

曲輪の北東の隅に「平和の碑」がありました。

大和郡山市戦傷病者会 が建てた碑_ なぜこんな目立たない場所に?と思いました。(ここには昔 会とゆかりある建物があったのかしら?)

碑の向こう_ 土塀がちょ っと切れています。覗いてみましょう。

お城の北を走る郡山斑鳩線が見えました。(昔はあの道路の手前もお堀だったんでしょうね?)


引き返して~

追手門前を通り~

天守台のある本丸を目指しましょう。

(↑手前の池は 高台にあるのにをたたえ続けている不思議な池だそうなー)
↓「本丸と天守台」という説明板/これによると正規の登城ルートは 東の毘沙門郭から西の 本丸側の白沢門に架けられた 今は失われている「極楽橋」を通るものだった、そうです。

(↑慶応元年(1868年)の絵図。「毘沙門郭」
部分が「二の丸」と書かれていたようで興味深い。 /右が北)

(↑天守台北)
昔は内堀にも水が入れられてたんですかね?
(↓天守台前)

(↓南を向くと 桜の大木が目に入りました)

(見事に枝垂れた桜。美しいー)

桜で見えませんが、この先に本丸へ上がる道があるのです。行ってみましょう。

追手門に繋がる渡り櫓では「金魚グッズ」が売られている模様。

その南側にはお茶席。


本丸側の石垣に足場が組まれています。重機も見えます。何の工事? と思ったら_


「郡山城白沢門櫓台石垣整備工事」ですって。横には「夢の『極楽橋』を再現しよう!」と立てカン。(現工事は橋の復元に向けての調査らしい~)/ 失われた橋の再現、なるのかな?


柳沢文庫。毘沙門郭に建つこの建屋は 1960年に建てられたもの。 最後の藩主柳沢家から寄贈された書画や 藩の資料を所蔵 公開しているそうです。

(この日は「近代郡山と 氏族「就産」事業の萌芽」という学術的タイトルの企画展が開かれていました)

毘沙門郭の南の端に 石積の土台を持つ土手(?)が見えてきました。

まるで山の尾根道のようー。

(古い絵図には渡り櫓が描かれています。これは石垣の上の建屋が失われた状態、なのかも)


土手の上から北を見たところ。


反対の 南の堀側。

(↑坂には お城まつりの屋台が並んでいます)
↓二の丸と本丸の間は今は埋め立てられていますが、古い図では「竹林橋」という橋が架かっています。


では 本丸を歩いてみましょう。/ つづく


<参考資料>
内堀の東と西では呼称が違うのだろうか?とググってて見つけた17世紀半ばのお城の図。
国立公文書館デジタルアーカイブ→ 正保城絵図→和州郡山城
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/pickup/view/detail/detailArchives/0305000000_5/0000000447/01
(因みに正保年間(1644-1648年)の城主は姫路から移ってきた本多政勝)
曲輪の呼称等あれこれ違っており かえって混乱~^^;)