鞆の浦ぶらり歩き-2(円福寺あたり) | (又)おだわらぐらし はじめました

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 背広を脱いだ夫と 結婚以来ずっと専業主婦の私との
「新しい日常」を綴って参ります

対潮楼を拝見した後は_
その南の円福寺へ行ってみました。

(円福寺がある高台には昔 南朝勢力が築いた「大可島城」という城(というより砦?)があったと言います。名前からもそうと知れますが 昔 円福寺一体は独立した島だったんですって。(という訳で 今立つあたりは昔は海?))

あ、あの高台の上に見える建屋が お寺 かなー?

左手に「遠音近音」というお宿。

(↑よさげ~)

右手に「夾明楼(キョウメイロウ)上り口 (森下博 建立)」と刻まれた石柱がー。

(↑夾明楼は円福寺の客殿。又 森下博さんは仁丹本舗の創業者で鞆出身だそう。)
階段を上がっていくとー

「崖の上のレストラン ぽす・きゃっと」って看板・・・。


「円福寺」が見えてきた。

上ってきた道を振り返ったところ_。

ポストの下に 猫がいた。

ぷい ってされた。


円福寺へ上がってみます。

からりとした境内。

左に蔵を改装したらしい建屋。


改めて_「南林山 円福寺」さん。

屋根に獅子や魚が載ってます。


↓扁額の山号を書いたのは朝鮮通信使の写字官・花菴(李爾芳)、だそう。

(さすが写字官、いい字です。検索してみると 朝鮮通信使揮毫による扁額って他にも色々あるんです。書だけならきっともっと残ってるんでしょうねー)

近くにあった説明板。

↑あぁ、鞆城を建てた慶長年間に 大可島は鞆と陸続きになり 城跡にはお寺(円福寺)が建てられた、んですねー?

本堂と小堂の間から海が見えました。

すぐ下は墓地でしたが・・・

いい眺めです。客殿・夾明楼からの眺め というのも こんな感じ? 

((後で知りましたが 夾明楼は本堂の海側にあったそうです!!! もうちょっと気を付けて見ていれば・・・))


退出します。

石段から鞆の港が見えました。

そして石段の下では地域猫達がチャオチュール(かな?)を貰ってました^^;)

↓左の石段を上った先には「舟番所」があったようですが 見損ねました・・・ 残念。(赤いコーンのせいで行っちゃいけないような気がしてしまったのかしら)))

この後は波止場の方へ行ってみました。


つづく