石段を上がると正面に_
「海岸山」と山号が刻まれた石が現れました。

その上には「日東第一形勝」と記された石柱。

近くにあった説明板。

このお寺の正式名は「海岸山 千手院 福禅寺」。950年頃の創建と伝えられる真言宗のお寺。本堂及びそれに隣接する客殿は元禄時代に建てられています。/ここは朝鮮通信使の宿泊施設としても使われたそう。 1711年に立ち寄った使者は ここからの景観を「日東第一形勝」(=日本で第一の景勝地)と称賛、1748年の使者は 客殿を「対潮楼」と命名しています。/ 寺には通信使が残した書六点が現存し、日本と朝鮮の間にあった文化交流の証となっているそう。又それらは ユネスコの「世界の記憶」にも登録されている、との事。
さて「日東第一~」とはどんな景色?
お寺へ伺ってみましょう。


南に回ると本堂が姿を現します。

手前で手を清めましょう。

(んぐ んぐ って↑水、飲んでるみたいな龍・・・)
入口

↑扁額の文字は「観音堂」。
↓蟇股に鎮座しているのは 貝???(トド?)

脇にあった案内板。


チケットを購入し中(客殿部分)に入ると~

おーっ これは素晴らしい!

「絵の様な」とはこのこと・・・

渡し船が行く。


館内の小壁には朝鮮通信使が書いた書が。



そして当時の通信使が身に着けていたであろう韓服や冠 靴の複製が飾られ~

通信使の行列の様子がお人形で再現されていました。



(↑行列には 警護の侍の他 荷物を運ぶ役を仰せつかった庶民階級の日本人も加わっていたんですね?)
欄間には菊の御紋。



対潮楼にばかり目がいきますが、お寺も 村上天皇の勅願時として空也上人が創建~ という由緒と格式あるお寺なんですよねー。
おや これは?

年代物の望遠鏡です。(旧陸軍砲兵隊が使っていたもの、とか)

あ、弁天島の福寿堂の欄干がはっきり見えます。思ってたより性能いいですねー。

対潮楼の西側の本堂は撮影禁止でしたので、付けられる写真はここまで、ですが

長く秘仏であったという 華やかな厨子の中の千手観音も拝めました。(暗くてよくは見えなかったんですけどねー)
では退出いたします。

この後は南の円福寺の方へ~

つづく