三の丸神社(三の丸稲荷) | (又)おだわらぐらし はじめました

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「新しい日常」を綴って参ります

蛸地蔵_ 天性寺を目指す途中、
「三の丸神社」に寄ってみました。

歩いてて 赤い鳥居が見えたので寄った神社ですが、 伺って大正解でした。ここは 岸和田のだんじり祭 発祥の地といわれる場所だったんです。


手水舎の手前に案内板がありました。


元々は南北朝時代に和田正儀により岸和田城の守護社として建てられた物とか。(因みにその当時の岸和田城は 現在の南海電鉄岸和田駅の南2~300mのあたりにあった「岸和田古城」。)
15c中頃 今に残る岸和田新城が建てられていますが、この神社の お城三の丸への遷座は1640年に岡部氏が岸和田に入って以降の事。そして1701年、三代目藩主岡部長泰の時 そこに伏見からお稲荷さんが勧請されて 神社は「三の丸神社」「三の丸稲荷」に。 この城内の神社へは庶民の参拝が許され、稲荷祭には各町の地車が神社前で太鼓を打ち鳴らした~
_ それが現在の岸和田地車(ダンジリ)祭の原型 と考えられている、んですって。

大きな木。ご神木かな?

横の石柱には「正一位 白蛇大明神」と刻まれていました。(しかしお稲荷さんは正一位だけど 白蛇大明神さんが正一位?)

社手前に拝殿・・・(かな?)

中には御由緒書が掛かっていました。


御祭神_猪尾権現 黄旗大明神 白髭大明神。
(↑あれ?板の文中には「元禄14年(1701年)には岡部長泰公が 五穀豊穣 民の安泰を祈願され倉稲魂神(ウカノミタマノカミ)、瓊々杵尊(ニニギノミコト)、伊弉冉尊(イザナミノミコト)を山城の国より御勧請され~」って書かれてるのに 「御祭神」の欄には この三柱の御神名が見えないんですが? /「三の丸神社」と「三の丸稲荷」は分けて考えるべき、なのかしら?)
(↓ともあれ、稲荷社にお鎮まりの神様は「御食津神(ミケツカミ)=倉稲魂神=お稲荷さん」のよう)


↓「岸和田だんじり祭の」由来

(最後の文、よくわからないけど 先に「だんじり」という言葉があって それに「大和川土運び用の車」≒「地車」の漢字を当てるようになった って事、かなー???)
↓岸和田の初期のだんじり という絵。

地車前に曲芸する狐の人形が飾られていた?/ともあれ お稲荷さんとの繋がりが考えられるデザインですよね?(現在のだんじり祭は 稲荷社とは関係なくなってますけど)

↓享保3年(1718年)の地図も掛かっていました。


(↑赤い四角が三の丸神社のある場所)

拝殿横の蔵には地車が格納されていました。(ガラスが光ってよく見えませんでしたがー)



お社。

あら ちょっとこれは「新感覚」系。(私的に「いい!」)


社を守る狐君達。(現役組と退役組?)



境内には神名を刻んだこんな石も。

(明治の一村一社制で集められたもの、とかかなー?)

よくわからないままの事もあったのですが、
岸和田の歴史に「1」詳しくなれた気がします^^)

ありがとうございましたー。

で、この後は、天性寺:蛸地蔵さんへ行く~
前にお昼を食べに行く事にしました。/つづく