最終日 お昼に「鼓(ツヅミ)」さんで高山ラーメンを食べた後は 最後の散策に出かけました。
めざしたのは 宿から眺めて 「あれ、あの山の麓辺りに お寺が集まってるなー」 と思った天性寺町あたり。(後で知りましたが このお寺の集まる一角は「東山寺町」と呼ばれているそうです。金森氏が城下町を造るにあたり 元々建っていたお寺社を高台へ移動させて生まれた寺町、ですって。)
「鼓」さんの前から出発。
(↑↓なかなか味わいある看板が並んでます)
「柳橋」を渡ります。
橋から眺めた宮川。
流れの中に立つアオサギは・・・
寒そうに首をすくめてました(?)
渡った先の鰻屋さん「うな信」は 閉まってました。が 蒲焼のいい匂いを辺りに振りまいてました。(貸し切り営業中だったのか 夜の部に向けて焼いてたのか ー)
上三之町(カミサンノマチ)の通りを過ぎー
尚行くとー
二木酒造さんの蔵が。
まっすぐ進むと_
駐車場があったのですが
その奥に 石垣や階段が見えました。あの上には元々何が建っていたのかなー?(地図を見ると 今は上も駐車場のようですが・・・)
(↑撮りそこなったので 上二枚はストリートビューからもらいました)
・・・私達はこの駐車場を左に折れてー・・・
照蓮寺に行ってみました。
↓「真宗大谷派 高山別院」という札が掛かっています。/ 戦国時代に領主金森氏によって はるばる白川郷から移された寺だそう。
唐破風を持つ立派な山門には「光曜山」と書かれた額が。
門の扉に付けられているのは・・・牡丹でしょうか?
門を潜ると本堂が目の前に。
(↑左の石に刻まれている「嘉念坊 善俊上人」というのは 親鸞から教えを受け 照蓮寺の前身「正蓮寺」を興した方で「後鳥羽上皇の子、又は孫と伝えられる」そうです。/ 正蓮寺は このエリアに真宗の勢力を広めた功労あるお寺だったそうですが、 一向一揆に加担して1488年 焼き討ちにあっています。。。)
宝橋(タカラハシ)を渡り 山の方へ上がっていきましょう。
↓橋の下と流れる川は「江名子川」。_金森氏は高山の城を作るに際し 宮川と江名子川を堀代わりにしたと言います。(そうと知ってから地図を見るとあれこれ「なるほど」です)
坂を少し上がって
「numabeもびっくり!!!」
↓オリエンタルカレーの看板が!
これは もう これからも 是非 大切にしてって頂きたい!
坂を上りきった所に「大雄寺」が建っていました。
(↑宿から見えていた 目立つ大きな屋根は ここの物だったよう)
大雄寺の左(北側)の石段を上がってみましょう。
(↑左は豊川稲荷を移したもので 荼枳尼天(ダキニテン_仏教系のお稲荷さん)が祀られていました)
「白山神社」と掛かれた鳥居の扁額、提灯。
鳥居近くにあった「東山」白山神社の「神社沿革」。(白山神社は沢山あるので_(観光一日目にも市内八軒町の「一本杉白山神社」を訪ねております) 区別するために「東山」を付けているのでしょうね)
白山神社への参道を上がって行きます。(右は浄土宗の大雄寺さん、左は曹洞宗の雲龍寺さん)
石段の上に社殿が見えてきた。
提灯の文字・・・
・・・読めない^^;)(曄星、かなあ?)
手水舎。
境内の手前に狛犬達。
なんという可愛らしさ^^)
(↑「お手」って言ったら お手 しそう^^;)
杉に囲まれた神域は すぐそこ。
到着~
拝殿。/幕には一重の菊。
御祭神は 伊弉諾尊 伊弉冉尊 菊理媛命(ククリヒメノミコト)。 旧社地へのご鎮座は718年。社殿造営は763年。1585年に金森氏によって現在地へ移されたそうです。
↑で、この社殿は「三代目水間相模(ミズマ サガミ)による建築」で 屋根の優美な曲線が見所、なんですって。
境内ではすでに年越しのための焚火が始まっていました。
あと半日ちょっとで 初詣、が始まるお宮に 参り収めで来ちゃってる事に気づき ちょっと苦笑^^;)
ありがとうございました。/ 退出いたしましょう。
(↑改めて杉の立派さを感じます)
この後は 東山の山麓のお寺を訪ねる事に~。
(↑社殿横にあった周辺図。お殿様によって城下町から東山山麓に移されたお寺が 沢山ある!って事が よっくわかりますねー)
つづくー