高山散策-7(東山白山神社へ) | (又)おだわらぐらし はじめました

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 背広を脱いだ夫と 結婚以来ずっと専業主婦の私との
「新しい日常」を綴って参ります

最終日 お昼に「鼓(ツヅミ)」さんで高山ラーメンを食べた後は 最後の散策に出かけました。

めざしたのは 宿から眺めて 「あれ、あの山の麓辺りに お寺が集まってるなー」 と思った天性寺町あたり。(後で知りましたが このお寺の集まる一角は「東山寺町」と呼ばれているそうです。金森氏が城下町を造るにあたり 元々建っていたお寺社を高台へ移動させて生まれた寺町、ですって。)




「鼓」さんの前から出発。

(↑↓なかなか味わいある看板が並んでます)





「柳橋」を渡ります。

橋から眺めた宮川。
流れの中に立つアオサギは・・・

寒そうに首をすくめてました(?)
渡った先の鰻屋さん「うな信」は 閉まってました。が 蒲焼のいい匂いを辺りに振りまいてました。(貸し切り営業中だったのか 夜の部に向けて焼いてたのか ー)

上三之町(カミサンノマチ)の通りを過ぎー

尚行くとー

二木酒造さんの蔵が。

まっすぐ進むと_
駐車場があったのですが

その奥に 石垣や階段が見えました。あの上には元々何が建っていたのかなー?(地図を見ると 今は上も駐車場のようですが・・・)

(↑撮りそこなったので 上二枚はストリートビューからもらいました)
・・・私達はこの駐車場を左に折れてー・・・

照蓮寺に行ってみました。
↓「真宗大谷派 高山別院」という札が掛かっています。/ 戦国時代に領主金森氏によって はるばる白川郷から移された寺だそう。

唐破風を持つ立派な山門には「光曜山」と書かれた額が。


門の扉に付けられているのは・・・牡丹でしょうか?


門を潜ると本堂が目の前に。

(↑左の石に刻まれている「嘉念坊 善俊上人」というのは 親鸞から教えを受け 照蓮寺の前身「正蓮寺」を興した方で「後鳥羽上皇の子、又は孫と伝えられる」そうです。/ 正蓮寺は このエリアに真宗の勢力を広めた功労あるお寺だったそうですが、 一向一揆に加担して1488年 焼き討ちにあっています。。。)

宝橋(タカラハシ)を渡り 山の方へ上がっていきましょう。

↓橋の下と流れる川は「江名子川」。_金森氏は高山の城を作るに際し 宮川と江名子川を堀代わりにしたと言います。(そうと知ってから地図を見るとあれこれ「なるほど」です)

坂を少し上がって
「numabeもびっくり!!!」

↓オリエンタルカレーの看板が!

これは もう これからも 是非 大切にしてって頂きたい!

坂を上りきった所に「大雄寺」が建っていました。

(↑宿から見えていた 目立つ大きな屋根は ここの物だったよう)

大雄寺の左(北側)の石段を上がってみましょう。


(↑左は豊川稲荷を移したもので 荼枳尼天(ダキニテン_仏教系のお稲荷さん)が祀られていました)

「白山神社」と掛かれた鳥居の扁額、提灯。

鳥居近くにあった「東山」白山神社の「神社沿革」。(白山神社は沢山あるので_(観光一日目にも市内八軒町の「一本杉白山神社」を訪ねております) 区別するために「東山」を付けているのでしょうね)


白山神社への参道を上がって行きます。(右は浄土宗の大雄寺さん、左は曹洞宗の雲龍寺さん)

石段の上に社殿が見えてきた。

提灯の文字・・・ 

・・・読めない^^;)(曄星、かなあ?)
手水舎。

境内の手前に狛犬達。

なんという可愛らしさ^^)


(↑「お手」って言ったら お手 しそう^^;)
杉に囲まれた神域は すぐそこ。

到着~


拝殿。/幕には一重の菊。

御祭神は 伊弉諾尊 伊弉冉尊 菊理媛命(ククリヒメノミコト)。 旧社地へのご鎮座は718年。社殿造営は763年。1585年に金森氏によって現在地へ移されたそうです。

↑で、この社殿は「三代目水間相模(ミズマ サガミ)による建築」で 屋根の優美な曲線が見所、なんですって。

境内ではすでに年越しのための焚火が始まっていました。

あと半日ちょっとで 初詣、が始まるお宮に 参り収めで来ちゃってる事に気づき ちょっと苦笑^^;)

ありがとうございました。/ 退出いたしましょう。

(↑改めて杉の立派さを感じます)

この後は 東山の山麓のお寺を訪ねる事に~。

(↑社殿横にあった周辺図。お殿様によって城下町から東山山麓に移されたお寺が 沢山ある!って事が よっくわかりますねー)

つづくー