高山散策-8(東山寺町あたり) | (又)おだわらぐらし はじめました

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 背広を脱いだ夫と 結婚以来ずっと専業主婦の私との
「新しい日常」を綴って参ります

東山白山神社へお参りした後は、

東山の麓の「東山寺町」(東山寺院群とも) (↑上のMAPの 遊歩道を示す赤い線の上に陶芸・家マークが並んでいる辺り)
を回る事にしました。

(↑東山白山神社の参道を 下っているところ。左手の小山がMAPの緑の丸_城山です。)

まずは 神社参道から北へ上がって_曹洞宗 海蔵山雲龍寺へ。
東山白山神社の鳥居のすぐ脇にあるこのお寺、元々は妙観寺という 白山神社の別当寺だったそうですが 後に無住となり_ 室町時代に曹洞宗のお寺になった との事。

そして更に時代下って_ 初代藩主金森長近が 長男:長則の菩提寺としています。(長則は本能寺の変で命を落としています。まだ19歳だったそうです。)
↓門を入ってすぐ右手に表れるこのお堂は

烏枢沙摩明王(ウスサマミョウオウ)堂。

↑明王堂なのに梅紋?と思ったらこれは天神さんの梅紋ではなく、 城主だった金森氏の家紋「裏梅鉢」でした。(この紋はこの後も金森氏と縁のあるお寺で見る事になるのでした。)
↓庫裏。

↓本堂

んー・・・ 読めません^^;)

鐘楼門。

こちらが本来の参道かな?


勉強不足で見損ねてしまいましたが、この楼門は正面から見てこそ!でした。 これは高山城二の丸にあった黄雲閣という建物を移築した物だったのです。/ 現在この楼門は市の文化財となっています。

続いては向かいの大雄寺(ダイオウジ)へ。

・・・あ いやいや ちゃんと山門から伺おう。

(↑東山白山神社の参道を下っております)
六角堂。

その前に「迦具土大神」という旗の立った祠がありました。

「秋葉社」。火の神カグツチが祀られているようですね?
(ここ一体の町名が「愛宕」(←火伏せの神)、である事とも何か関わりが?)

↓「浄土宗 大雄寺」と寺名が刻まれた柱が立っていました。/ 元々は現在の国府町(←割と遠く)にあったそうですが、1586年に金森氏によってここに移されています。(そっか、東山寺町に集められたのは城下町にあったお寺だけじゃない、んだ。つまり(多分)防衛上の観点からここに 寺社が集められた、んですね?)

「東林山」という扁額の掛かる楼門。/元禄2年(1689年)に名人:水間相模によって造られた物で、県の文化財、ですって。

石段の途中 六角堂を見やったところ。(観音堂、だそう)

門の両の室にいらっしゃった仁王さん達。

(↑↓手斧で削ったような 粗い表面を持つ 素朴にして力強い仁王像)

奥を見たところ。正面は庫裏かな?

(↑お寺の方(多分)が 雪かきをしてらっしゃいました。暮のお参りの方を迎える準備なのでしょう。/忙しい折にふらふら入るのが躊躇われ ここでおいとましました。(かえって失礼?))
下の道から見上げた楼門の横顔(?)。(右手に鐘撞堂も見えます)



道なりに行くと 石垣の上に鐘撞堂が見えました。

曹洞宗高隆山素玄寺(ソゲンジ)。初代藩主金森長近の菩提を弔うため建てられた寺で、寺名も長近の法名からとられていると言います。

↑手前と奥の石垣は色が違う。別の時代に造られたものなのでしょう。(ありそうなところで車道を通す必要があった、とか)))
↓石柱が立っている所から上がります。


御門。/幕に染め抜かれているのは金森氏の「裏梅鉢」。

本堂。高山城二の丸にあった評議場を移した物だそう。

鐘撞堂。

門の前から高山市街地を見たところ_。



素玄寺参道脇の観音堂。

御由緒はよくわからなかったのですが「飛騨三十三観音霊場第四番・・・」と読めます。(その後は別山跡???)

↓ストリートビューでは「松倉山馬頭観世音菩薩」の旗が見えますから 素玄寺さんが管理なさっているという松倉山の観音堂(←高山駅の西南西3キロ程の場所)と関係がありそう。

扉の上には絵馬が掛けられていました。(何の絵かなー?)

市の文化財の頁によると_ 松倉山の観音堂では8月に法要があり「絵馬市」が開かれる~ んですって。 昔 養蚕繁栄を祈って(中国の「蚕馬伝説」から 蚕は馬の頭を持つ虫 とされていたんですね)馬を飾り立てて馬頭観音のお堂に参拝していた~のがその起こり、とか。

道を南へ下ると_

東山神明神社参道が、


そして そのすぐ横に天照寺へ上がる道がありました。

(時に天照寺は 元々は天性寺と書いており、これが今の町名「天性寺町」のモトになっているそうです。)


石段上ってすぐの場所にお稲荷さん。

本堂。

鐘撞堂。

退出します。

道なりに進むと


法華寺、がありました。

こちらは 謀反の嫌疑でこの地に流され翌年亡くなった 加藤光正(加藤清正の孫)の霊を弔うために建てられたお寺、との事。 (そうだ・・・飛騨は流刑地でもあったんですねー)

門の幕には桔梗紋。(加藤家の紋)


天井に孔雀の絵。

本堂。

こちらの本堂も、高山城内の建物を移築したものだそう。

説明板。

少し奥を進んで・・・

鐘撞堂、

庭、を拝見。

池に石橋が渡されており、その先にお堂が見えました。

番神堂、法華守護の五神を祀るお堂だそうです。

なかなか重厚で 素敵 なお堂ですよねー。


この先にもまだお寺は続いていたのですが そろそろ時間。

坂を下って 駅に向かいましたしたとさ。

(法華寺前から西に走るこの道_県道462号線をまっすぐ行くと高山駅 なんですよー)

(↑宮川に架かる筏橋から赤い欄干の中橋越に 城山の西に建つ正雲寺辺りを見たところ)
おしまい。




* 本当は三日目に「平田記念館」や「吉島家住宅」なども見学してるのですが ちょっとテンコモリ過ぎるのでブログへのUPは控えます(?)。
とにかく 盛りだくさんで美味しい 大人の修学旅行でした。というか まだまだ見切れていませーん。又行きたい。 凄いよ、飛騨!