歴史博物館(+オンドル跡) | おだわらぐらし

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縁あって暮らす事になった相模の国 小田原
一杯見て 一杯歩いて 一杯味わいたいと思います

園城寺(オンジョウジ=三井寺)北院:法明院(ホウミョウイン)を退出した後は_
北院と中院を結んでいたと思われる 斜面地の小径を歩きました。目指すのは 大津市歴史博物館。


今歩いているのは法明院のお庭の下あたりー。


法明院下、を過ぎると 道はワイルドさを増しました。




右手に鳥居が見えてきました。

鳥居の先にあったのは_

新羅三郎(シンラサブロウ)の墓でした。

近くにあった説明板。

(鳥居があるという事は ここがただのお墓ではなく信仰の対象になっていた、という事でしょうか?)

新羅三郎の墓から少し下ると_

分かれ道に。

三井寺、の方へ向かいます。

で この道が・・・
ここまでよりも更にワイルドだったのでしたー。。。


↑いや この辺まではよかったのですがー
↓その先は 道幅が狭い箇所があったり


(↑ここ 一瞬だけど道と切れてて こわかったわー)))
倒木に道 塞がれてたり_。

道脇の石仏に供えられたコインは色が変わってました・・・。


尚行くと_


ぽか っと不思議な所に出ました。
ここは・・・ どこ?

「若鷲の記」「若鷲の碑」という石碑があった。

 ここには戦時中(s17~20年) 大津陸軍少年飛行学校があったんですね。学校は15~6の少年を対象とした一年の基礎訓練機関で 卒業生はここから 操縦 通信 整備の各上級学校へ進んだそうです。
横に校歌を刻んだ石もありました。

で、 えーっと ここは今 何になってるの?
と思ったら「大津市歴史博物館」でした。
丁度訪ねようと思っていた場所ですし ここからも入棺できそうでしたがー 裏から入るって ・・・掟破り?


・・・ と思い、もう一度山道に引き返して_



正規の入口から伺いました。



この日開催されていたのは「湖都大津社寺の明宝II 神仏の形」という企画展。


(↑来年の春「法明院」という企画展が開かれるんだ。丸山応挙の襖絵なんかも展示されるんですってよ。覚えておきましょう。)
「大津」というかなり限定的なエリアの~ というのに「さすが」なレベルでした。


↓ロビーの奥にいらした 撮影可、だったお地蔵様。(12c末~13c初頭の作)

彩色も残る はんなり したお地蔵様ですが、

↓小関地蔵堂という 小堂に安置されているもの、ですって。


さて、歴史博物館には屋外展示物として オンドルがある、というので行ってみます。

どこだろう?

あ、屋根の下にあるのが そうかー。

「穴太(アノウ)遺跡の特殊カマド / 温突(オンドル)遺構」、ですって。 (あー、オンドルって漢字で書くと温突か!納得~)
↓上部の構造は発掘ではわからなかったそうですが 多分石を渡して上に建屋が置かれていた物と考えられる~ そう。

作ったのが誰か はわからないけれど 大陸から来た人か 彼らからその技術を教わった人 が関わっているのは間違いないでしょうね。

う~ん いい物を見た!

さて、では、
戻って参りましょう。

↓県立大津商業の野球部の皆さんー。

↓県道47号線へ出る道脇の川。

川辺には秋色の草木~



__ 続いては 国道沿いに設置されていた 大津絵が描かれたプレートの写真を貼ろうと思いますー。